JR津田沼駅前の書店で一冊の本がよく売れていた。新潮文庫の『白い犬とワルツを』である。謎に感じた新潮社は販促員をその書店に向かわせた。
 その文庫本は入口の棚に平積みされていた。それだけではどこの本屋とも同じであったが、違っていたのは、本の横に書店員の手書きのポップ広告があったことである。そこには、「妻を亡くした老人の前にあらわれた白い犬。この犬の姿は老人にしか見えなかった。何度読み返しても肌が粟立つ大人の童話だ」と書かれていた。店内の客の様子を窺うと多くの客がこのポップの前に立ち止まり、しばらく本をパラパラめくった後に本を持ってレジへと向かったのである。新潮社はこの手書きのポップ広告に着目し、これを全国展開することにした。それから半年後、『白い犬とワルツを』は百万部を超える大ベストセラーとなったのである。
 きょう妻が死んだ。結婚生活五十七年、幸せだった。

 この物語のすべてはこの一行から始まった。
 妻が亡くなってから一週間後、一頭の白い犬がサムの前に表れた。しかしこの犬はサムにしか見えなかった。 
 サムは八十一歳。歩行器がなければ歩けなかった。この歩行器に犬は前足をひっかけてサムと一緒に歩いた。まるでダンスをするように。
 サムも一年後癌に侵され亡くなった。

 サムの命があとわずかとなったとき、白い犬はいつのまにかいなくなっていた。
 子供たちはサムを妻の墓の隣に埋葬した。しかし、そこには小さな犬の足跡が幾つもついていたのである。
 これは大人のメルヘンに違いない。(秀)