1996年10月、小選挙区制が導入され、定数1となった和歌山旧3区の衆院選。当時新進党の二階俊博さんと自民党の野田実さんが激しい保守分裂選を展開し、二階さんが11万5681票を獲得し、10万1074票の野田さんを破った。野田さんは比例復活したが、自身の事務所職員の買収事件で初の連座制が適用され失職。筆者は記者になりたての頃で、選挙の取材で新宮市にも行ったのを思い出す。

 2年後の98年11月、世耕弘成さんが叔父の政隆さんの死去に伴う参議院和歌山県選挙区の補欠選挙に自民党公認で出馬し初当選。その時、世耕さんがいつの日か衆院にくら替えし、議席を失った野田さんの代わりに活躍してくれる日を夢見ていた支持者も少なからずいたと思う。

 世耕さんは参議院議員で26年間経験を積んだベテラン。くら替えの出馬会見では二階俊博さんについて「偉大な政治家。しのぎを削った覚えはない」と話していたのが印象的。先月の衆院選和歌山新2区では二階さんの三男で自民公認の伸康さんとの保守分裂戦を制して初当選、悲願のくら替えを成就させた。ほとんどの市町村長らが伸康さんを支援する中、背水の陣での挑戦に感服。世耕さんが一丁目一番地に掲げる政策は人口減少ストップであり、即戦力としての手腕に期待したい。

 一方、敗戦はしたものの、伸康さんの政治家を目指す決意、そして「全ては故郷のために」という情熱は紛れもなく本物。チャンスは無限、これからが本当のスタートではないだろうか。いずれにしても戦いが終わればノーサイド。因縁の対決、そう簡単にはいかないと思うが、国、和歌山の発展を願う気持ちはみんな同じだ。 (吉)