韓国人の女性作家・ハン・ガンがノーベル賞文学賞を受賞した。受賞理由は、ー心に傷を抱えた人々と、その魂の回復を詩的で繊細な文章で表現し、人間の命のもろさを浮き彫りにしたーと評価された。またスウェーデンアカデミーは談話のなかで「彼女は肉体と精神のつながり、生ける者と死者のつながりに対して独特の意識をもっており、詩的かつ実験的な文体で、現代の散文における革新者となった」と述べている。本作品はそんな彼女の国際ブッカ―賞受賞作(国際ブッカ―賞とは、英国の文学賞で、英語以外の言語で書かれた作品が対象となる)である。

 主人公は私とベジタリアンとなった妻の物語。無口でこれといって特徴のない妻に惹かれて結婚したサラリーマンの私。そんな、なにげない日常から物語は始まる。ただ一つ、妻に変わったことがあるとすればブラジャーを嫌がることだった。薄いブラウスで乳首が丸く突き出るように見えていても、妻はまったく気にしなかったのである。そして結婚五年後、ある日を境に妻の食事がまったく変わってしまった。肉類を全く受け付けなくなったのだ。それどころか貝類さえも、である。いわゆる植物以外の食事をまったく受け付けなくなったのだ。妻は日を追うごとに痩せていき、一年後には骨と皮ばかりになってしまった。私は妻の実家に相談し、心配した妻の母がやってきて漢方薬だと言ってクロヤギのエキスの入ったドリンクを飲まそうとした。いくら妻に漢方薬だといって飲まそうとしても彼女はそれを飲もうとはしなかった。―「本当に漢方薬だから生薬だけで肉は少しも含まれないから」と嘘をつくと、やっと彼女は一口、口に含んだ。しかしすぐに、
 「どこへ行くの?」
 「トイレ」
 私は妻の後をつけてトイレに行った。
 妻はトイレのドアを閉めた。そしてうめき声とともに、腹の中のものを全部吐き出した。トイレから出てきた妻からは、むかむかする胃液の臭い、酸っぱい食べ物の臭いがした。―
 妻は毎晩、夢を見ていた。その夢の中で、動物が虐待され残酷に殺されていく夢を見ていた。妻の夢は、人間が人間同士を殺戮する戦争そのものだったのではないだろうか。そう作者は言っているように思える。
 今もウクライナや中東で、人を人とも思わぬ凄惨な戦争が繰り広げられている。彼女のノーベル文学賞の受賞は、そんな私たちへのメッセージだったのではないだろうか。
     (秀)