先日ご紹介した「バリ山行」と同時に、直近の芥川賞を受賞した作品をご紹介します。
 物語 数カ月ぶりに実家へ帰ってきた双子の姉妹、杏と瞬。こたつでくつろぎながら、父から初めて父自身の出生の秘密をきいた10年前のことを思い出している。

 父の若彦は、兄・勝彦の「胎児内胎児」として生を受けた。勝彦の体の中に取り込まれており、勝彦が1歳の時に外科手術で取り出されたのだ。成長した2人はとても仲が良かったが、一家のもとに勝彦の訃報が届く。杏と瞬は、父と勝彦の関係について思いをはせ、そして自分たちの境遇についてもあらためて思いを巡らせる。

 2人は、半身ずつが一つに組み合わさった、結合性双生児であった。1人分の体を2人で分け合っており、顔も体も真ん中でつなぎ合わされているように見える。心臓、声帯等は一つを共有。内臓は独立したものもあれば2人が共有しているものもあり、どれも問題なく機能しており2人はすこぶる健康であった。2人は「濱岸杏」として5歳まで育ち、5歳の時に初めて瞬の存在が杏によって周りの大人たちに知らされる。そして精密検査を経て医学的にも2人の人間であると証明され、ようやく「濱岸瞬」が社会的に誕生した。

 2人は現在パン工場で働いているが、職場には2人であるとは明かしておらず、帽子をかぶりマスクを着けて働いている。仕事仲間には「話し方が変わる時、あるよね」などといわれている。2人は話す時の声のトーンが異なり、両親と祖母にはどちらがしゃべっているかすぐに分かる…。

 1人分の体に人格は2人。意識はそれぞれはっきりと独立して存在している。その特異な主人公たちの設定が本作の核。内容のすべてはその設定に帰属するといって過言ではないでしょう。
 純文学とは、文学という手法をもって人間存在の本質に迫る試みだと思っていますが、本作はその最たるものであるように私には感じられました。

 まだ大人たちに認知されていない5歳の瞬が、初めて自らの意図で体を動かして池の水を激しくかき回すシーンは印象的です。意識が自在に使える身体という道具を初めて得た、その感動にあふれています。

 人間の自由意志は、どこまで身体的条件から解き離れて自由であり得るのか。そんなことを考えさせられます。  (里)