和歌山市駅の近くに百年以上続く酒造会社、ここが世界的博物学者・南方熊楠の生家である。父の弥右衛門は荒物商や両替商を営み一代で財を築いた。酒造会社はその余力として始めたものである。長兄は放蕩が激しく、三男の常楠が跡を継いだ。次兄の熊楠には「天狗の生まれ変わりじゃ」と世人が例えるほどの才があった。この才に惚れ込み、常楠は生涯を通じて熊楠を支え続けた。
熊楠は和歌山中学(現桐蔭高校)から大学予備門(東京大学教養課程)へと進む。熊楠にとってはつまらないところで、研究を進めるべく英米へと赴いた。英国では知己を得て、大英博物館で研究を続ける。その研究や生活のすべては常楠からの仕送りであった。帰国後の生活も同様である。
そんな熊楠に朗報が届く。生物学に造詣が深い昭和天皇からのご進講の依頼であった。昭和天皇は赤坂御用地で新種の粘菌の発見もされており、南方熊楠を粘菌研究の第一人者として知っていたのである。
昭和四年六月、田辺湾に戦艦長門が入港した。この船の中で熊楠はご進講をしたのである。熊楠にとってこれほどの名誉なことはなかった。父にも弟常楠にも恩返しができたと思った。
本作は第一七一回直木賞候補作であるが受賞はならなかった。博覧強記的に南方熊楠を捉えているように思え、作品としての弱さを感じる。司馬遼太郎の「日本人とは何か?」同様に「熊楠とはなにか?」と問いかければ受賞していたのかも?
熊楠は死の床で、昔食べた握り飯のことを思い出す。
―常楠の握り飯(にんにこ・紀州弁)は、うまかった。そして熊楠は瞼を閉じた。(秀)