八幡山城跡東側の発掘で見つかった切岸や横堀について川崎氏(写真手前)から説明を受ける参加者

 御坊市教育委員会は22日、藤田町吉田の八幡山城跡で発掘調査の現地説明会を開き、市内外から歴史マニアら51人が参加。市及び日高郡6町埋蔵文化財保護行政事務協議会の埋蔵文化財専門職員川崎雅史氏から、遺構や遺物について解説を受けた。

 八幡山城は1346年(興国7)に、旧矢田荘吉田村領主の吉田蔵人源頼秀が築城。山頂の公園化計画に伴い、市教委が先月下旬から初の発掘調査を行ったところ、掘立柱(ほったてばしら)建物の柱穴や土坑、炉などを発掘。南北朝時代の特徴を持つ土師器(はじき)皿などの遺物も出土し、城の周囲に2段の帯曲輪(おびぐるわ)、曲輪と曲輪の間の斜面に敵の侵入を防ぐ切岸(きりぎし)などを確認した。

 城の規模は東西約70㍍、南北約50㍍としており、川崎氏は「八幡山は西側に最も高いところがあるが、東側に城を築いたのは、当時の吉田村を見渡すためだった」と推察。籠城するための城ではなく見張り程度に城詰めしていたと考えられる半面、新たに帯曲輪の北は二段とも岩盤を掘削した横堀となっていたことが分かり、急斜面となる南側以外、城の周囲に二重に横堀を巡らす防御性に優れた構造であった可能性が高いとした。発掘された直径30㌢の炉は穴の周囲が赤く硬化しており、高熱を伴う小鍛冶などの作業を行っていたことも想像できるとした。

 市教委は来月上旬までに発掘調査と現状保存のための埋め戻しを終える。