
「豊饒の海」第三巻が本作品である。全編の背後には常に死の影が漂っている。第一巻「春の雪」では華族に生まれた松枝清顕と綾倉聡子との儚くも激しい恋とその死。第二巻「奔馬」は清顕の生まれ変わりの飯沼勲の人生と昭和維新に破れた勲の割腹自決。
本作品では清顕の魂はタイへと飛んでいた。七歳になったタイの王女は自分は日本人だという。故郷である日本へ帰りたいと泣き叫ぶのであった。清顕の友人、弁護士の本多繁邦は、五井物産の法律顧問としてタイを訪れる。そこでタイの王女に謁見をし、その王女が松枝清顕の生まれ変わりではないかと試すのであった。本文より。
―「それで答えは二つとも当たりましたか」
「いや」
「一つは当たったんですか」
「いや。残念ながら二つとも外れた」
と本多は打遣るように嘘を言ったが、この捨て鉢な口調が却って嘘を隠して、菱川はすっかり真に受けた高笑いをした。―
その後離宮へ招かれた本多はそこで水浴びをする王女の裸体を垣間見た。そこには清顕と同じように、左の脇腹に三つのホクロが確かにあったのである。
この「豊饒の海」には、仏教における最も崇高な教えとしての「大孔雀明王経」における輪廻転生が「唯識論」として語られていた。
解説の森川達也は、
―「唯識」の思想が、正しいと言うのではない。しかし、この国のどの作家が、巨大なこの思想にかくも果敢な攻撃を挑んだであろうか。その観点だけからしても、「暁の寺」は誠に注目すべき、貴重な文学作品だと云わなければなるまい―。(秀)