
学歴なし、日雇い労働で風呂なし六畳一間で暮らしていた中年の男が芥川賞を受賞して話題を呼んだ西村賢太であるが、その五年後に発表したのが本作品である。
主人公の北町貫多は五年後も相も変わらず六畳一間の風呂なしのアパートに住んでいた。ただ違うのは境遇を綴った私小説で新人賞を受賞しいささか出版社との付き合いも出来きるようになっていた。中学時代から音楽とは無縁の生活をしていた貫多であったが、唯一姉のラジカセで聴いたのがきっかけとなってお気に入りになったのが歌手のJ・Iさんであった。本作を読んでいるとJ・Iさんが誰だかは容易に想像がつく。ヒット曲が「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」とくればあの人しかいないではないか。このJ・Iさんの歌声を貫多は次のように述べている。
―硝子の繊維を通して広がるような声ー
まさに言い得て妙である。そのJ・Iさんのライブに新人賞を取った貫多が招待されたのだ。ファンの一人が受賞本をJ・Iさんに献呈し興味を抱いたJ・Iさんが出版社を通じて貫多をライブに招いたのであった。そこは港区芝公園の一流ホテルのレストラン会場であった。この日の貫多の出立ちはというと、いつも通りのチェック柄のネルシャツに安物の黒ジャンパー、ダボダボのカーキ色綿ズボン。こんな格好で都内の一流ホテルのレストランに入れるはずがないのであるが、ホテルのライブの担当者はやんわり「チケットはお持ちですか?」と問うてきた。貫太は「いえ、ぼく持ってません」と答えると、早々に追い払われそうになった。そこへ中からJ・Iさんのマネージャーが現れ貫多を会場へ入れてくれるのである。
J・Iさんのライブは素晴らしく興奮冷めやらぬ貫多であったが、ライブが終わってJ・Iさんとの記念撮影だったりサインを貰ったりして、貫多には夢のような興奮冷めやらぬ一夜となっていた。
そんな北町貫多がなぜ小説を書くようになったのか? それは大正期に活躍した藤澤清造という作家を知ったことによってである。藤澤清造は石川県七尾市出身、極貧の中に生まれ学業ままならず、東京に出て売れない私小説を書き続け貧苦の中で死んでいった作家である。境遇が似ているからと貫多は師と仰ぎ、その命日には法要まで務めるようになっていた。そんな藤澤清造の終焉の地がこの芝公園内の六角堂だった。厳冬の二月、藤澤清造はこの六角堂でやせ衰え寒さの中で凍死して生涯を終えたのであった。悲しい結末に貫多は驚き、以後没後弟子として私小説を書くようになったのである。
ライブ会場を出た後、それを思い出した貫多は、ライブに浮かれ果て師を忘れた自身のバカさ加減に飽きれ果て、寒風の中、泣き崩れて師に詫びるのであった。(秀)


