藤原定家自筆の古今和歌集の代表的な注釈書が見つかったとのニュースが19日、全国紙等で大きく報じられた。専門家は「国宝級の発見」としている◆定家の最も有名な仕事は、誰もが中学生で習う「小倉百人一首」を編んだこと。第1番の天智天皇は飛鳥時代の7世紀、第100番の順徳院は定家と同じ鎌倉期、13世紀の人物。順徳院は、定家と縁が深かったが承久の乱を起こし流罪となった後鳥羽院の皇子で、彼もやはり流罪となり流された島で生涯を閉じた。第100番の歌は、しみじみと往時を偲ぶ「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」。飛鳥時代の昔から定家にとっての現代である鎌倉時代までおよそ600年分、100人の歌を締めくくる一首にふさわしい。その歌を最後の一首に選んだ定家の意図が偲ばれる◆当県と定家とのかかわりは、10代から晩年まで記された日記「明月記」にある。国宝「切目懐紙」を残した後鳥羽院は数多く熊野行幸を行い、定家はある時それに同行。悪路に難儀して体調を崩し、散々苦労をした様子が「明月記」には綴られる。先駆けとして食事や宿舎を手配し、歌を詠む暇もなかったとか。神坂次郎著「藤原定家の熊野御幸」にその辺のことが詳しく書かれていると最近知り、読みたいと思っていたところ今回の報道に接した◆発見された注釈書「顕注密勘」には推敲の跡や考えを記した貼り紙も残され、写本でない自筆の史料ならではの重要な価値がある。「明月記」の苦労話もそうだが、事績のみを事務的に見るのではなく人物の喜怒哀楽、息遣いにまで思いを馳せ、人間的側面に迫ることで800年の時を超え見えてくるものがある。歴史に向かう時、なくしてはならない視点であろう。(里)