野球において最も偉大なピッチャーは誰かと問われると、サチェル・ペイジと答えることができる人はかなりの大リーグ通である。2000勝もの勝ち星を上げノーヒット・ノーランも100回を越えている。この数字は大リーグだけのものではない。戦前に存在した黒人リーグとオフシーズに諸外国を回ったその合計数である。この勝ち星の理由は、黒人リーグでは、ほぼ毎日投げていたのである。しかも一日1試合とかではなく2試合の日もあれば3試合の日もあった。オフシーズンにはメキシコ、キューバ、ハイチ、ドミニカ、プエルトリコまで遠征をして勝ち星を上げていたのである。

 黒人の大リーガー第1号はジャッキー・ロビンソンである。しかしこれには訳がある。誰よりも凄い投球を見せるサチェルにも大リーグからの誘いはあった。しかし、彼はそれを断った。理由は給料が安いから。ジャッキー・ロビンソンは5000ドルで契約したが、サチェル・ペイジは当時3万ドルの報酬。もし3万ドル支払う球団があれば彼は黒人大リーガー第1号になっていたはずである。

 のちにサチェルは、大リーグのクリ―ブランド・インディアンスに入団した。彼は42歳になっていた。ファンはこう嘆いた。「肌が白ければなあ」「もうちょっと若ければなあ」。その年彼は7勝(7月入団のため)を上げインディアンスをワールドシリーズに導いた。しかしワールドシリーズではわずか3分の2イニングしか投げなかった。監督が白人だけでワールドシリーズに勝ちたかったからである。

 サチェルの大リーグ通算成績は28勝31敗32セーブである。もっと早く大リーグに入団していればと思うのは私ばかりではない。

 今年、春の選抜には和歌山県立田辺高校が21世紀枠で76年ぶりに出場。奇しくも著者の佐山和夫氏は田辺高校の出身である。1日目に強豪星稜と戦い、惜しくも敗れたが好勝負を繰り広げた。拍手を送りたい。(秀)