能登半島地震で被災地に派遣されていた県緊急消防援助隊が10日帰還し、日高広域消防の隊員が12日、管理者の松本秀司日高町長に帰署を報告した。第1次から第3次までの日高派遣隊の隊長がそれぞれ現地の甚大な被害、土砂崩れや道路の損壊で困難だったという活動を説明。松本管理者からねぎらいを受け、気を引き締め直していた。
能登半島地震では県内全ての消防から合わせて122隊・419人が緊急消防援助隊として第1次から第3次まで、日高広域からは計3隊・12人が派遣され、第3次派遣隊が10日に帰還。日高派遣隊隊長で第1次の岡﨑和志司令補(52)、第2次の山本昌史司令補(35)、第3次の炭本一彦司令補(48)が日高町役場を訪問し、松本管理者は「大変お疲れさまでした。隊員の皆さんには道路状況も悪く、余震が続く中、人命救助などに活動していただいたことに敬意を表します。今回の経験を現場に生かし、今後も住民の方々に安心安全で住みよい地域づくりのため尽力いただきたい」と述べた。
報告によると、日高広域の隊員ら県大隊は金沢から穴水町のあすなろ広場へ入り、能登町の柳田植物公園を拠点として輪島市などで活動。山本司令補らは6日、同市渋田地区で生き埋めになったとされる高齢女性と成人男性の捜索に従事し、「重機が入れず人力でがれきを出したのですが、発見に至らず、進入路が復旧するまで捜索が打ち切りになった。隊の全員で出してあげようとの共通認識のもと活動したのですが、残念だった」と悔しさをにじませた。
岡﨑、炭本の両司令補も「能登半島の先に向かうにつれて、道路や住宅の被害状況が悪くなり、特に道路は亀裂や隆起、土砂崩れもあって、ルートを探したり、現場にアクセスしたりする時間がかかり、待機時間もあってもどかしかった」「不謹慎かもしれませんが、海沿いや山あいの景色が日高地方と重なるところがあり、もしものことがあれば恐ろしく、大変なことになるなと感じた」と話した。
県緊急消防援助隊の活動は第3次でいったん打ち切り。山梨県の派遣隊に引き継がれたという。