城南宮を出立する熊野御幸の一行

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が来年で登録20周年を迎えることを記念し、県が平安時代の上皇や女院、貴族らが熊野三山を参詣した熊野御幸(ごこう)を再現する「令和の熊野詣」出立式を京都市伏見区の城南宮で行った。

 城南宮は延暦13年(794)の平安京遷都の際に創建されたと伝えられる神社。平安時代後期には、白河上皇や鳥羽上皇が周辺に城南離宮を造営し、院政の拠点とした。離宮の御殿は、熊野詣の前に心身を清める「精進潔斎(しょうじんけっさい)」の場所にも使われ、上皇や貴族らはこの地から船に乗り込み、淀川を下って熊野御幸に出発したという。

 県は今月から来年にかけて、語り部の案内のもと、参加者が白装束を着て古道を歩くリレーウオークを開催する。来年3月までに紀伊路約80㌔を8回に分けて歩き、来年度はさらに、熊野三山へと向かうルートのウオークが計画され、今回の出立式が取り組みのスタートとなった。

 出立式は、鳥羽上皇と待賢門院の熊野御幸(1134年)を想定し、城南宮が記録を基に1998年に再現したもの。上皇役の岸本周平知事、女院役を務めた俳人の黛まどかさんが真っ白な浄衣に身を包み、神楽殿に着座すると、その前の庭で陰陽師が祭文を奏上し、上皇と女院が解縄(ときなわ)、散米などの作法を行い、ヒノキのつえを受け取った。聖護院門跡の宮城泰年門主が先達となり、岸本知事や黛さんは、北面の武士や公卿、山伏、白装束の一般参加者ら総勢約60人の行列でゆっくりと歩き出し、境内にはほら貝の音が響いた。

 出立式を終えた岸本知事は「1000年以上の時の流れと人の営みのつながりを感じて、大変感動を覚えた」と振り返り、黛さんは「これほどまでに歴代の上皇たちを引き付けてきた、熊野の底知れない魅力のようなものを実感した。草木にまで神が宿るという日本人の心、精神の全てが熊野に見られる。日本人の本質、文化の深いところを知るためにも、熊野に来て体感してもらいたい」と話した。