半世紀以上にわたり県のバレー発展に貢献している龍神さん

 元日高高校女子バレー部監督で、春高バレー全国大会に二度導いた龍神秀夫さん(74)=美浜町吉原=が、日本バレーボール協会から功労者表彰を受けた。1971年、22歳で日高高校教諭となり、和歌山黒潮国体や沖縄特別国体では教員チームのセッターとして優勝に貢献。選手、指導者、協会の役員として半世紀以上にわたり、和歌山県のバレーの向上、普及、発展に尽力した功績が認められた。

 島根県出雲市出身。小学生の時は野球、中学ではブラスバンド部でトロンボーンに打ち込んでいたが、兄、姉の勧めで高校からバレーを始めた。2年の終わりからエースアタッカーに成長し、大学は東海の強豪中京大学に進学した。身長174㌢、2年からセッターに転向。東海地区では常に優勝し、インカレにも出場した。1971年に大学を卒業し、同年に和歌山開催の黒潮国体教員チームの一員に白羽の矢が立ち、日高高校教諭に。セッターとして活躍し、国体で優勝。国体前に沖縄で開かれた全国教員バレー大会、73年に開かれた沖縄特別国体でも優勝と3度、日本一に輝いた。

 選手と並行してバレー部の顧問としても手腕を発揮。78年には日高高校定時制女子チームを率いて通信制全国大会に出場。御坊商工で7年指揮をとったあと、86年から日高高校女子バレー部の顧問を2008年に退職するまで23年間務めた。「勝つときは生徒の力、負けは指導者のミス」をモットーに、生徒の自主性を尊重する指導を貫き、生徒と毎日交換する連絡ノートは退職まで続けた。90、91年には2年連続で春高バレー全国大会に導いた。当時は私学の和歌山信愛が常勝、最大の壁だったが、2年とも決勝でフルセットの大接戦を制した。92年も決勝で信愛にあと1点で勝利まで迫ったが、フルセットの末に敗れた。

 退職後も、2014年まで同校でエクセレントコーチを歴任。県バレーボール協会の役員も長年務めており、現在は常任理事と日高支部長。2015年の紀の国わかやま国体ではバレー少年女子会場の全体総括副委員長として大会成功にも貢献した。

 今月12日に県協会長から表彰状の伝達を受けた。「選手として日本一になったことよりも、日高高校で春高に出場したことが一番うれしかった。公立で全国大会に出場するのが夢だったですから」と振り返り、受賞に「私の指導は微々たるもの。生徒の力、関係者の皆さんと妻の支えのおかげでいただいた賞だと思っています」と話した。