印南町の清流中学校(塩路秀喜校長)で3日、平和学習が行われ、沖縄県那覇市出身で同町在住の元小学校教諭木村三千代さん(66)が、「命(ぬち)どぅ宝」というテーマで講演。戦争の悲惨さや生きていることの大切さなどを伝え、全校生徒24人が未来への平和の尊さ、命の大切さについて考えた。
木村さんは琉球大学を卒業後、大学で一緒だった印南町出身の男性と結婚。24歳で印南へ移住し、清流小学校や南部小学校などで勤務してきた。95歳になる木村さんの母は戦争当時、白梅高女(沖縄県立第二高等女学校)の生徒で、伯母はひめゆり学徒隊に所属しており、沖縄戦の話をよく聞いていたという。
沖縄の代表的な染物である紅型(びんがた)の衣装で登壇した木村さんは、沖縄戦について「那覇市はひどい空襲に遭っていて、多くの子どもが疎開せざるを得なかった。母は遠く85㌔離れた大宜味村(おおぎみそん)へ歩いて疎開しました」と母の経験を話し、奄美大島へ疎開に向かう対馬丸がアメリカの魚雷で沈没したことなども伝え、「沖縄戦では人口の約10分の1の人が亡くなったんです」と戦争の悲惨さを訴えた。
ひめゆり学徒隊で看護に当たっていた伯母も戦争を乗り越え生き残った。「当時は生きたいのに集団自決を迫られた人もいる。こうして自分が生きているのは先祖のおかげ。皆さんはつらいことがあった時、『命どぅ宝(命は宝物)』という言葉をどうか思い出して、どんなことがあってもしっかり生きてほしい」と伝えた。
木村さんはもう一つ伝えたいこととして、沖縄の米軍基地問題を取り上げ、基地の建設で沖縄の美しい環境が奪われていること、基地の近くに住む住民が騒音などで生活がままならないことなどを説明。「不幸な戦争があったのに、今もなお苦しい生活を強いられている。沖縄の現状について知って考えて、皆さんが大人になった時、基地に反対する人に投票をしたり、何かしらの意思を示してほしい」と話した。