

1953年(昭和28)の7・18水害から70年を迎えた18日、御坊市薗の源行寺(湯川憲治住職)と野口の安楽寺(伊藤明子住職)で市主催の水害犠牲者追悼会が開かれ、防災関係者ら約20人が焼香して犠牲者の冥福を祈った。日高川に架かる天田橋でも、水害で橋桁の上で一夜を過ごした故橋本克彦さんの妻由枝さん(83)らが手を合わせ、犠牲者を悼むとともに災害のない地域の平穏を祈った。
70年前の7月17日から18日朝にかけて梅雨前線による集中豪雨が発生。山間部では24時間で500㍉以上の雨量を記録し、県内の死者・行方不明は1015人。御坊市の旧6町村でも日高川の堤防が決壊するなど甚大な被害を受け、死者と行方不明は合わせて220人となった。
源行寺で開かれた追悼会には、自主防災組織連絡協議会の役員や市の担当課職員らが参列。湯川住職が水害の翌年に建立された慰霊塔の前で読経し、出席者が焼香して手を合わせた。自主防災組織連絡協議会の酒本和彦会長は「今年は水害発生から70年の節目の年。災害は歴史から学べといわれます。過去の教訓を生かして防災意識を高め、今後発生する災害に際して犠牲者を出さないようにしていきたい」と決意を新たにしていた。
天田橋でも供養が行われた。当時17歳だった橋本克彦さんは仕事で天田橋左岸の塩屋方面に行っていたが、堤防の決壊などが発生し、避難するために自宅のある右岸の薗地区へ向かったという。天田橋を渡っていたところ、強い水流で橋が落ち、行き場をなくした克彦さんは橋脚にしがみついて一夜を過ごした。克彦さんは翌年から災害発生日に供養を行ってきたが、4年前に他界。15年ほど前から一緒に供養していた近くに住む会社員の西川徹也さん(53)らが克彦さんの遺志を継いで供養を続けている。
今年も橋本さんの妻の由枝さんら6人が訪れ、薗の常照寺の前住職栁岡正澄さんが克彦さんの遺影の前で法要を営んだ。由枝さんは「夫が亡くなって4年になります。水害の教訓を生かすためにも、今後も供養を行っていきたい」と話していた。