今月のテーマは「英国王室」。先週掲載の「宝石」(春山行夫著)では、王冠を飾るダイヤモンド「カリナン」について紹介されましたが、そのカリナンが収蔵されているのはロンドン塔。長い歴史があり、現在は一部が王宮の保管庫、武器庫等としても使われています。明治の文豪が留学中にここを訪れていました。
「倫敦塔(ロンドンとう)」(夏目漱石著、新潮文庫「倫敦塔・幻影の盾」に所収)
1902年から04年までの2年間、文部省留学生としてロンドンに滞在した漱石。神経を病んで帰ってきたといわれますが、その経験は幾つかの幻想的な短編を生みました。
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倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去という怪しき物を蔽(おお)える戸帳(とばり)が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来たれりとも見るべきは倫敦塔である。(略)
兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様に逢いたい」とのみ云う。