昭和の戦争体験者が地域に1人もいなくなる、その日はもうきているのかもしれない。今年も8月の連載準備を進めているが、まだお話をうかがえる人が見つからないなか、また1人、取材させていただいた方が鬼籍に入られた。

 美浜町田井の浄土真宗常福寺の元坊守池上みちさん。1918年、日高郡丹生村江川の旧家に生まれ、日米の戦争が始まった41年に高校教師の正信さんと結婚した。正信さんが戦地へ行くことはなかったが、戦争末期には近くの軍需工場が爆撃機の標的となり、たびたび防空壕へ逃げ込んだという。

 みちさんは「私は戦争より、7・18水害の方が怖かったよ」と話しておられたが、満州事変以降、軍国主義一色だった戦前・戦中の日本において、「新日本婦女子はかくあるべき」との高等女学校の教育や地域の同調圧力に違和感を覚え、そんな社会に自分なりに抵抗、反発したことなど、遠い記憶をたぐりながら、にこやかに生き生きと語っていただいた。

 あの時代の日本、保守的な田舎に生まれた女の子が、なぜ周囲に反発しながらも、自分に正直に生きることができたのか。みちさんにもっといろんな話を聞きたくて、帰り際、「また寄らせてもらっていいですか」と聞くと、「いつでもかまんで。また来てよ」と笑って見送ってくれた。その後何度かお邪魔したもののタイミングが合わず、またそのうちにと思っているうち、105歳の誕生日前日の往生となられた。

 戦争中、子どもながら、ラジオや新聞の大本営発表に一喜一憂された方、戦争で夫や父を失くされた方など、いま、伝えておきたい、伝えねばならない記憶、思い出はありませんか。日高新報編集部℡0738ー24ー0077までご連絡ください。(静)

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