4月のテーマは「桜」。美しい花の描写などがたくさんある、文豪の初期作品をご紹介します。 

 「草枕」(夏目漱石著、新潮文庫)

 「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という出だしが有名な、熊本県を舞台にした長編小説です。ヒロインには実在のモデルがあり、革命家孫文の支援などをしていた女丈夫だったそうです。

   * * *

 枝繁き山桜の花も葉も、深い空から落ちたままなる雨のたかまりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮の住まいをさらさらところげ落ちる。

 お婆さんが言う。

 「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ目前にちらついている。裾模様の振袖に、高島田で、馬に乗って…」

「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、おばさん」

「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑ができました」

 余はまた写生帖をあける。この景色は画にもなる、詩にもなる。不思議なことには衣装も髪も馬もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。

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