先日、日本生命相談役の岡本圀衛さんが趣味の歴史散策で御坊の亀山城跡を訪れた際、山登りのお供をさせていただいた。亀山は子どものころの遊び場のような山だが、恥ずかしながら歴史や文化的価値は人に説明できるほど知識がなく、道案内としての同行だった。

 中世の湯川氏の亀山城は、大坂城や姫路城のような武将が天下に権威を誇示する巨大な城郭とは違い、山の上の平屋の軍事施設。平時は亀山のふもとの館に住み、戦の際の詰めの城として築かれた。

 頂上の二段の主郭部は大規模な土塁(どるい=盛土による堤防状の防壁)や高い切岸(きりぎし=斜面を削った急傾斜の断崖)を巡らせ、腰曲輪や帯曲輪を階段状に配置。県内の中世の山城としては玉置氏の手取城(日高川町)と並んで最大規模といわれる。

 これらの情報は御坊市教委の前田さんに教わり、パンフやネットを見て慌てて詰め込んだのだが、甲斐の武田氏にルーツを持つ湯川氏一族の家紋は割菱(武田菱)や花菱など4種類あり、うち一つの浮線蝶がわが栄光の湯川小学校の校章のモチーフであることも初めて知った。

 子どものころ、その校章のついた制服を着て、毎日、亀山を越えて学校に通い、始業式や終業式では古川成美先生作詞の「亀山城址 草もえて…」の校歌をうたっていたが、学校で校章の由来について教わった記憶はない。 

 岡本さんは初めて訪れた亀山城跡に感動し、「後期戦国時代の面影があり、たんにハイキング道とするだけでなく、土塁や郭、堀の説明板をつけ、郷土の誇りとしての城址を若い人に植えつけ、語り継いでいけるといいですね」と話しておられた。この地域の歴史遺産をより広く、時代も広げて発信していきたい。 (静)