直木賞受賞作家の近作をご紹介します。近代日本の歩みを物語る歴史的な建造物がモチーフとなっている点は、以前に紹介した「東京會舘とわたし」(辻村深月)と共通していますが、読んだ印象などいろんな点が決定的に異なっています。


 物語 駆け出しの作家「わたし」は散歩途中の上野公園で、不思議な高齢女性喜和子さんと出会う。その日、「わたし」は開館したばかりの上野にある国際子ども図書館を取材した帰りだった。ベンチで休んでいると、端切れを継ぎ合わせて作ったコートと頭陀袋のようなスカートという珍妙ないでたちの喜和子さんがやってきて、隣に座った。煙草を出して吸い始め、煙に弱い「わたし」が咳き込むと金太郎飴をくれた。名乗り合い、「わたし」が物書きだと知ると「帝国図書館を主人公にした小説を書いてほしい」と頼んでくる。「あたしなんか、半分住んでたみたいなものなんだから」。


 そして喜和子さんとの長いつきあいの中で「わたし」は、帝国図書館、現在は国際子ども図書館として稼働している古い建物の激動の歴史を、つぶさに知っていくことになる。血のつながらない2人の青年に育てられ、成長してからは娘と夫を捨てて婚家を出奔した、喜和子さんの数奇な運命と共に。


「東京會舘とわたし」は良くも悪くも、関係者を絶対に悪く書くまいという気遣いのようなものが感じられたのですが、こちらはもっとざっくばらんで、興味の赴くままに物語を編む、著者の息遣いが感じられました。国立国会図書館の前身かと思ったのですが、そう単純なものではありませんでした。3度洋行した福沢諭吉が「ビブリオテーキがなければ近代国家とはいえない」と明治の要人達に文庫(図書館)の開設を提唱して始まった書籍館(しょじゃくかん)が歴史の始まり。本書には作中作として、喜和子さんを育てた青年が書いたらしい「夢見る帝国図書館」が要所要所に挿入されます。「わたし」と喜和子さんの交流の進展と並行して、日露戦争や日中戦争の戦費がかさんで費用が削られ、資金不足に泣かされ続けてきたが、明治、大正、昭和の文豪に愛され続けてもきた図書館の歴史が語られる。樋口一葉として死後に有名になる貧しい樋口夏子、親友と図書館で別れる宮沢賢治、魔術師のようなインド人と図書館で出会う谷崎潤一郎と芥川龍之介。それはそのまま日本の近代文学の歴史でもあります。


 本の歴史は人間の営みの歴史、また、多くの人間の抱いた夢の歴史でもあるのだなと、本好きには熱い感慨を持たせてくれる一冊でした。


 ところで、上野という土地の歴史も紹介する本書には、上野動物園の戦時中の悲しい話も書かれます。「ドラえもん」初期の涙なくしては読めない名作エピソード「ぞうとおじさん」を思い出したのでした。(里)