日々の編集をはじめ、時々の政局、トピックス、過去の選挙のデータなど、分からないことや迷ったときはいつもその幅広い知識と経験の箱から、的確な答え、助言を与えてくれた。
日高新報のエース記者、湯川賀弘副編集長が逝った。昨年7月から体調を崩し、入退院を繰り返していたが、180㌢の大男も病には勝てず、25日夕、家族に見守られながら自宅で静かに息を引き取った。
若いころからスポーツ取材の中心として、休日は野球大会等に走り回り、夜も会社で1人、記事を書いていた。常に選手と関係者へのリスペクトを忘れない魂の記事が、この地から多くの名選手、プロを育てた。
3年ほど前、記者の配置転換を進める際、「ここらで一度、スポーツから離れてみては」と尋ねたとき、彼は「記者としての自分にはスポーツしかない」といい、自身への期待に対する感謝と謝罪とともに、提案を固辞した。
スポーツだけでなく、行政では印南、由良、日高、美浜、日高川の各町を担当。平成の町村合併や首町選挙では刻々と変わる情勢を的確に分析し、いつも人懐っこい笑顔で謙虚さを忘れず、何よりも記者としてのバランス感覚が素晴らしかった。
酒と魚が好きで、自宅に後輩を招いてはいまでいう「宅飲み」の会を開き、部署を問わず慕われた。一見、豪放なキャラクターも、仕事に対しては誰よりも几帳面で、編集部においては窮地でこそ実力を発揮する頼もしさがあった。
家族を愛し、まだ幼い2人の子どもさんの成長に合わせ、日々の生活の中から浮かんだアイデアを紙面づくりに生かしてくれた。大黒柱を失ったダメージはあまりに大きいが、彼が残してくれた一つひとつを糧に進んでいきたい。 (静)