太平洋戦争末期の1945年5月5日午前11時ごろ、田辺市龍神村殿原地区の通称「西の谷」上空で米軍爆撃機B29が日本の戦闘機と空中戦を展開し、墜落した。搭乗兵11人のうち7人が墜落死し、4人はパラシュートで脱出。その後捕虜としてとらえられ3人が処刑、1人は不明とされている。地元住民は戦時中にもかかわらず、敵国の米兵を埋葬し、供養する卒塔婆と十字架を立てて約1カ月後の6月9日に仏式で慰霊の供養を営んだ。串本のエルトゥールル号しかり、日本人、とりわけ和歌山県人は人を思いやる心が強いように思う。

 殿原区では翌年から毎年5月5日に慰霊祭を続けている。77回目の今年、取材にお邪魔した。例年は約150人、区民あげて供養しているが、コロナ禍で最少人数で執り行った。「連合軍戦没アメリカ将士之碑」には当時の搭乗兵11人のモノクロの集合写真が飾られ、胸に迫るものがある。先の大戦では日本人犠牲者は310万人といわれている。アメリカの戦死者は約41万人、うち日本戦では16万5000人。龍神村に墜落した11人は数だけ見ればほんのわずかだが、命の重みは皆同じ。戦争が起こればこれほどたくさんの命が奪われる現実、あってはならぬことだとあらためて思う。

 B29の墜落を実際に見て、調査や語り部を続けてきた古久保健さんをはじめ、地元区民は皆「戦争はあかん、世界平和のため慰霊祭は次の世代につないでいきたい」と声をそろえていた。この一人一人の思いが戦争の悲惨さを伝え、二度と戦争をしない国をつくっていくのだと感じる。平和の尊さを感じた5月5日だった。(片)