山々には若葉が輝き、新緑のまぶしい初夏だが、行楽とは無縁の連休を過ごさねばならない。新型コロナ禍の中で迎える2度目の5月である。
新宮出身の詩人佐藤春夫の詩「望郷五月歌」を、ふと思い立って全文調べてみた。当時東京に住んでいた詩人は「塵まみれなる街路樹に あはれなる五月来にけり」と都会の味気ない眺めを嘆き、「夏みかんたわわに実り 橘の花咲くなべに とよもして啼くほととぎす」と輝くように明るい故郷の五月を恋う。そして「空青し 山青し 海青し 日はかがやかに 南国の五月晴れこそ豊かなれ」という有名な一節へ続いていく。
ある意味、この詩の生まれた昭和11年(1936年)よりもなお、現在の東京と和歌山県は遠く隔てられている。時間と旅費さえあればその間を移動することに何の問題もなかった当時に比べ、今はおいそれと長距離移動ができない。コロナ感染症の拡大状況は、1年前の今頃より深刻さが増している。
しかし1年前と今との大きな違いはワクチンの存在だ。先行きの不透明感はぬぐえないとはいえ、接種率の進行の度合を一つの目安に、状況を見守ることができる。単純にこれで安心とはいかないが、なんとか気持ちを上げながら過ごさないと消耗してしまう。
「望郷五月歌」は、「荒海の八重の潮路を運ばれて」流れ寄る貝殻を都会の子らに贈りたい、と結ばれる。この詩からとった「山青し 海青し 文化は輝く」をキャッチフレーズとする紀の国わかやま文化祭が、秋には県内で予定される。届かないものに思い馳せ、想像の翼を広げるところから芸術や文化は始まる。遠出できなくとも一冊の本、一編の詩に心遊ばせる、人間はそんな自由な生き物であることを知る機会になるかもしれない。 (里)


