1914年(大正3)6月から約4年半にわたり、ヨーロッパを主戦場に繰り広げられた第1次世界大戦では、イギリスの自治領カナダも連合国陣営としてフランスに軍を派遣。当時、カナダBC州のバンクーバーには多くの日系移民が住んでおり、約200人がカナダ軍の義勇兵として出征した。うち和歌山県出身者は12人で、日高地方出身者も4人いたことが本紙の取材で分かった。

 カナダへの日本人の移民は1877年(明治10)、長崎県出身の永野萬蔵がBC州のニュー・ウエストミンスターに定住したのが最初で、その11年後、日高郡三尾村(現美浜町三尾)出身の工野儀兵衛が渡航。BC州のスティーブストンで事業を起こし、フレザー川の鮭漁にチャンスを見いだし、故郷の三尾から次々と村民を呼び寄せた。

 1900年(明治33)には三尾出身者でつくる加奈陀村人会が発足し、その後も生活環境の改善が進み、村人会の会員は右肩上がりで増加。1912年(大正2)には1500人を超え、スティーブストンはカナダで2番目に日系人が多い町となった。

 しかし、日系移民が増加するにつれ、白人の日系社会に対する反発も大きくなり、1907年にはバンクーバーの日本人街が5000人もの白人に襲撃される暴動が発生。翌年には日加両政府の間でカナダへの移民を制限する協定が結ばれ、日本人が就労可能な職種も肉体労働に限定されるなど排斥、差別はさらに激しくなった。

 そんななか、ヨーロッパではフランス、ロシア、イギリスを中心とする連合国と、ドイツ、オーストリア帝国を中心とする中央同盟国が対立する第1次世界大戦が勃発。イギリスの自治領だったカナダも参戦することになったが、イギリスの同盟国である日本出身のカナダ移民の間では、いまこそカナダに忠誠を尽くすことで待望の選挙権を獲得できるという期待が高まり、約200人が義勇兵としてカナダ軍の一員となり、フランスの西部戦線でドイツ軍と対峙した。

 和歌山県出身者で出征した12人の中で、日高地方出身者は三尾村出身の尾浦熊吉さん、二井藤市(につい・とういち)さん、浜出文吉さん、由良村中(現由良町中)出身の原新吉さんの4人。尾浦さんと原さんは戦史に残るヴィミー・リッジの戦いに参戦したのち、尾浦さんは28歳、原さんは32歳で戦死し、いずれもフランス国内のカナダ軍戦没者墓地に遺骨が埋葬されていることが分かった。二井さんと浜出さんは戦争を生き延び、カナダへ帰国したが、ともにその後の消息が分かる資料は残っていない。

 これまで三尾出身の尾浦さんと二井さん、原さんが出征したことを示す資料やメディアの記録はあったが、浜出さんが三尾出身で、義勇兵だったことは分かっていなかった。

写真=1916年11月1日、カナダアルバータ州からヨーロッパの戦地へ向かう途中の日系人義勇兵(国会図書館デジタルアーカイブ所蔵、大陸日報社「加奈陀同胞発展史」より)