25年ほど前、大学生時代。大阪で友人と待ち合わせする際、きっちりとした時間、場所を決めておかなければならなかった。サッカーや野球観戦などで初めて行く場所を待ち合わせに使ったとき、もしも迷子になれば、自宅の固定電話の留守電機能を活用。待ち合わせ相手が筆者宅の留守電に「現状」を録音してくれれば、遠隔操作で聞くことができ、ただ単に遅刻しているのか、トラブルがあったのか、また場所が分からないのかなどの原因が分かり大変役に立った。30代以下の若い人たちには「いったいなんの話?」と思えるだろうが、携帯電話が普及していない時代は何かと不便だったのだ。

 「もしもスマホ(携帯電話)がなければ」。とあるテレビ番組をきっかけに少し「スマホがない自分」を想像してみた。真っ先に思い浮かんだのは、時計を持っていないため時間が分からない。毎日楽しみにしているプロ野球の結果チェック、ニュースの検索もできず、一番困りそうなのは知人と連絡がつけられないことだろうか。地図がないから目的地に行けない、知らない土地に行けば現在地が分からない。記者の仕事は全くといっていいほどはかどらないし、大混乱すると思う。

 「いまどこ?」「着く前に電話するわ」「近くにきたら電話して。場所教えるわ」。いまでは当たり前の会話ができるだけで、冒頭のような待ち合わせの苦労がなくなる。スマホは持っていれば本当に便利である。ただ、なければ生活できない、そんな依存症も社会問題になってきており、決していいことばかりではない。たまにはスマホのない生活を考える、体験すると、自分の依存度チェックにもなるのでやってみてほしい。(賀)