東日本大震災から丸5年が経過した。大手新聞やテレビなどのメディアから、いま東北の自治体が直面している課題、いまなお仮設住宅で生活し不自由を余儀なくされている被災者の方々、たくましく新しい一歩を踏み出した人々の声に触れ、あらためて津波の恐ろしさ、人々の率直な不安や強さに触れることができた。遠く離れたこの和歌山で何ができるだろうか、テレビを通じて被災者が言われていたことが胸に突き刺さった。「この地震・津波を風化させないでほしい。機会あるごとに伝えてほしい」と。報道に携わる端くれとして、襟を正さなければ。
昨年9月、初めて東北地方を訪ねる機会があった。宮城県女川町や南三陸町、岩手県陸前高田市など被害の大きかった地域を回った。その中でも最も忘れられないのが宮城県石巻市の大川小学校の悲劇。全校児童108人のうち74人、教師も10人が犠牲になった。河口から約5㌔上流の川沿いにある大川小では地震発生から約50分後に遡上した津波に襲われて多くの犠牲が出た。目の前に裏山があるのに約50分の間、校庭にとどまって逃げなかった原因は何か。二度と同じ悲劇を繰り返してほしくないと、娘を亡くした佐藤敏郎さんの切実な訴えはいまでもはっきりと耳に残っている。ホームページでも検索できるので、教師の皆さんにはぜひ知ってもらいたい。
いまあらためて思う。巨大地震・津波の被害が懸念される我々がすべきことは、東北の教訓を生かし、少しでも被害を少なくすること。同じ悲劇を繰り返しては多くの犠牲者が浮かばれないことを、一人一人がもっと強く意識しなければならない。このことをしっかり報じていこうと思う。(片)

