15日は70回目の終戦記念日。御坊市御坊の東町にある中松金物店には、いまも店内の地下にコンクリートの防空壕が残っており、貴重な戦争に関する遺産として見に訪れる人もいる。
 東町には江戸末期から明治にかけての古い商家や大正時代の造り酒屋の蔵などが残り、紀南最大の浄土真宗寺院「日高別院」も含めて、近年は観光の「寺内町」としても注目を集めている。中松金物店は明治時代に建てられた木造家屋で、店内の商品棚と商品の間の床板に80㌢×50㌢ほどの穴が開いており、5段のいびつな階段を下りると、壁も天井もコンクリートで囲まれた四角い箱の防空壕になっている。
 高さは1.75㍍、広さは1㍍×1.5㍍ほどで、足を曲げれば大人2人が横になれるほどのスペース。中の温度は一定で、いまの時期もひんやりとして涼しい。昭和28年の大水害では店が天井近くまで浸水、壕の中も泥でいっぱいになったが、戦後もふたをすることなくそのままの状態で現在に至るという。
 現在の店主は四代目で、三代目の幸夫さん(90)の妻俊子さん(89)によると、防空壕は昭和17年ごろ、二代目の父小三郎さん(俊子さんの実父)が幼なじみの職人さんに頼んで造ってもらった。「あのころ、このへんでは家の中へ造る防空壕が多かったんですが、職人さんから『コンクリで固めた方がええで』といわれ、そうしたようです。私は女学校(日高高等女学校=現日高高校)の生徒で、戦争末期には学徒動員で軍需工場で働いていました。お父さんは島の石川島工業、私は美浜町の日本アルミニウムと別々の工場で働きながら、空襲警報が鳴ったら上(店の奥の台所)で炊いたごはんをおひつに入れて、下(防空壕)へ持って下りて、2人で壕の中で食べました。布団も持ち込んで朝まで寝たこともありました」という。