市制施行60周年事業、平成26年度第4回市民教養講座は6日、御坊市民文化会館大ホールで開講。タレントの荒木由美子さんが「私の介護~荒木由美子が語る愛と感動の家族物語~」と題し、夫で歌手の湯原昌幸さんの母を20年間介護した経験を語った。一瞬も気の抜けなかったつらい日々を、ある時は明るく、ある時は涙を流しながら語り、もらい泣きする観客の姿もみられた。
 荒木さんはホリプロからタレントとしてデビュー。23歳の時に湯原さんと結婚、引退した。湯原さんは一人息子でその母と同居。「由美ちゃん、由美ちゃん」とかわいがってくれたが、結婚から2週間後に義母が倒れ入院。退院してからアルツハイマー病による認知症に。壮絶な介護の日々が始まった。「由美ちゃんが食べさせてくれない、お金をとられる」など暴言を浴びせられ、夕方になると鍵やガスの元栓をガチャガチャといじり壊してしまう。他の人がいる時はしゃんとしているので近所の人や親戚にも分かってもらえず苦しい思いをしていたが、症状が進行し、盆の墓参りで親戚の家を回る時に毛皮のコートを着て風呂おけを抱えていったことからようやく皆に分かってもらえた。介護と子育てを両立させねばならず、一瞬も心の休まる時がない。円形脱毛症になり、涙が止まらないことも。湯原さんはいつも「つらいだろうが、右から左へ聞き流せ。気にするな」と言って支えてくれた。老人保健施設に入所させることができたが、3ヵ月で出なければならない。2カ所を行ったり来たりしていると混乱し、症状はどんどん進んだという。そして白血病を発症。「もういよいよお別れという時、お義母さんは穏やかなきれいな顔をして、私のおでこや頭をなでて『ありがとね。これから由美ちゃんに悪いことは起こらないよ』って言ってくれたんです」と当時を振り返って涙を流し、声を詰まらせながら語った。「縁って不思議ですね。私は湯原さんと赤い糸で結ばれてると思ったけど、本当はお義母さんともっと太くて赤い糸で結ばれていたのかも」と笑わせ、「15年目や19年目で逃げ出してしまっていたら、私のことをほめてくれる人は一人もいないと思う。最後までやりきることが大事なんだと思いました。今はおばあちゃんが守ってくれていると思ってます」としみじみ話し、最後に湯原さんの曲「幸せの回数」を流して「イヤなことばっかり数えるより、幸せを数えてかみしめていたいですね」と締めくくった。