台風12号豪雨から丸1年の4日、死者3人、行方不明者1人、家屋の全半壊60棟など大きな被害があった日高川町では、高津尾の日高川交流センターで復興式典が行われた。遺族や被災者、町、消防団関係者ら約200人が犠牲者を悼みながら、復興へ決意新た。玉置俊久町長は災害に強い町づくりに取り組むことを誓った。
 日高川町では籔内省三さん(当時80)=川原河=、信濃拓さん (65)=高津尾=、藤原稔さん(52)=三佐=が犠牲となり、 田尻の別荘地にいたと見られる丸井泰司さん(69)=大阪府堺市=は依然として行方が分からない。
 式典では初めに参加者全員で黙とう、 犠牲者の冥福を祈った。 玉置町長はあいさつで当時の状況を振り返り、 復旧・復興に協力してくれた団体や多くのボランティアなどに感謝。 「母なる日高川から思わぬ試練を受けたが、 私たちはこの自然の中で生きていかねばならない。 これまでも災害に強い町づくりに取り組んできたが、 自然の猛威には歯が立たなかった。 犠牲者を出したこと、 住民の財産を守りきれなかったことを行政のトップとして反省している」 と悔やみ、 「さらに強靭 (きょうじん)で筋肉質な、 災害に強い町づくりに励みます。 日高川町は負けへんで みんなで力を合わせて元気な日高川町を再建する」 と力を込めた。 吉本賢次議長は 「今回の経験を生かし、 後世に伝え、 安全安心な町づくりを進めていく」 と述べ、 応急対策や支援活動、 復旧・復興に貢献した町建設業協同組合、 町水道協会、 JA紀州中央、 町社会福祉協議会、 社団法人県産業廃棄物協会、 日高環境衛生協同組合、 美山村森林組合の7団体を表彰。 玉置町長が代表者に感謝状を手渡した。 このあと、 「日高川町での災害リスクと地域防災力」 をテーマとした和歌山大学防災教育研究センター長、 此松昌彦さんによる記念講演もあり、 参加者には町内小中学生の被災体験をつづった文集 「絆」 が配られた。
 台風で亡くなった籔内さんの妻、 美根さん (77) も出席。 2日に省三さんの1周忌を終えたという。 「やっと落ち着いてきた感じがします。 当時は頭が真っ白で、 しばらく家族や近所の人に 『おかしいよ』 って言われていました」 と振り返った。 半世紀以上にわたり人生を共にしてきた省三さんについては 「思い出は尽きません。 お酒が好きな人でした」 と在りし日の夫を思い浮かべ、「地震、 雷、 火事なんて言うけど私は雨が一番恐ろしい。 いまでも雨の音を聞くと怖くてたまらない。 もうあんな台風はこないでほしい。 あの日を忘れたい」 と声を震わせた。