旅行業大手のJTBグループの出版・情報販売事業会社、 JTBパブリッシングの月刊誌 「ノジュール」 4月号に、 昭和のはじめ、 御坊臨港鉄道 (現紀州鉄道) を開設した市内の実業家田淵榮次郎氏と、 榮次郎氏の弟で帝国議会代議士だった田淵豊吉氏を紹介する記事が掲載されている。
 明治6年 (1873) 生まれの榮次郎氏は、 小竹八幡神社前に江戸時代から続く造り酒屋 「伊勢屋」 の九代目主人で、 家業の酒造業のかたわら道路や宅地開発、 貸地業にも力を入れ、 大正時代には御坊で3番目の大地主に成長。 昭和4年に国鉄紀勢線が御坊駅まで開通、 榮次郎氏はこの御坊駅開設に合わせて御坊臨港鉄道株式会社を設立、 初代社長に就任し、 6年には日高川河口から御坊駅まで 「他人の土地を通らずに線路を敷いた」 という伝説の臨港鉄道が開業した。
 一方、 榮次郎氏の9つ下の弟、 豊吉氏は早稲田大を卒業後、 ドイツに留学。 帰国後、 大正9年に衆議院和歌山4区から初当選し、 昭和17年まで在職した。 無所属を貫きながら、 普通選挙の拡大や女性参政権の実現などを訴え、 最後は 「日本は負ける」 と大東亜戦争 (太平洋戦争) に反対。 東条英機をも敵に回してひるむことなく痛烈な野次を飛ばし、 懲罰4回という帝国議会の最多記録も残している。 地元の有権者は 「田淵仙人」と呼び、憲政史上屈指の名物議員を議会へ送り続け、「和歌山県人の道楽」 ともささやかれたという。
 榮次郎氏の孫で、 3年前に死去した十一代目順一郎氏の妻美榮子さん (79) は、 「伊勢屋はもうお酒を造っていませんし、 こうして紀州鉄道や御坊のまちの歴史とともに、 田淵家を取材、 執筆していただき、 あらためて田淵家もその時代その時代に合わせて事業をかえてきたんだなと感じます」 と話している。