三十数年前、記者になって初めて担当したのが日高川筋の川辺、中津、美山の1町2村(現日高川町)。右も左も分からない筆者にとってこの地域の人たちは非常に親切でアットホームだった。
例えばこんなことがあった。冬の寒い朝、雪の取材を終えて帰ろうとしたところ路面が凍ってタイヤが滑り、立ち往生してしまった。何とか近くの学校のグラウンドまで車を動かして休憩させてもらったのだが、職員室でお茶とお菓子をごちそうになり話をしているうち、何人かの先生が「きょうはもう帰れんかもしれん。うちで泊まっていったらどうな」ときた。いくら記者の名刺を持っているとはいえ、どこの馬の骨とも分からない、しかも初対面の人を自宅に泊めてやるという。この日は幸い雪も早くやんでお世話になることもなかったが、この地域の人たちは万事がこういった調子で本当に純朴でやさしかった。
その日高川町の人々が、いま災害のつめ跡に苦しんでいる。あの悪夢の台風12号からもうすぐ4カ月になろうというのに、いまだ生活に不便を来している人がたくさんいる。筆者の周りにも自宅が水害にやられ再建するまで妻の実家で暮らす人、1階が水に浸かって使えず2階だけで生活している人もいる。
こうした中、本紙の企画「がんばろら日高川町」では、もとの生活を取り戻そうと頑張っている人を紹介、現状や課題を探った。少しでも被災者の皆さんの役に立てればという思いからだが、町や県の関係者には「いま被災者が最も望んでいること」を常に頭に置いて行動することを願い、一日も早い日高川町の復興、復旧を祈ってことしの納刊としたい。 (高)

