「先のことを考えると不安でなかなか寝つけない夜もありましたが、妻や多くのボランティアの方に元気をもらいました。農業が生きがいですから、一からやり直します」。
 バラ栽培を始めて14年目の上野さん=松瀬=は、風速50㍍の突風にも耐えられる特殊なビニールに囲まれ、頑丈な太い鉄骨が4棟連なる自慢の栽培ハウスが、一部を残して完全に水没。天井には流木が突き刺さり、もちろんバラは全滅。水害発生直後は無残な姿に、ぼう然と立ち尽くすしかなかった。
 22㌃の鉄骨ハウスの中は、鉄パイプで組み上げた長さ50㍍の栽培ベンチを7列設置し、液肥やりや温度管理はすべてオートメーション化。これまで設備投資に7000万円を費やし、労力軽減を図った次世代型ともいえる最新式の栽培施設が自慢だった。ところが、濁流が引いた後は「めちゃくちゃという以外に言葉がない状態」。流れ込んだ土砂はなんと2㌧トラック約400台分あり、3カ月余りたったいまも完全には取り除けていない。
 「バラ収穫は盆も正月もないほど年中続き、毎日仕事をしていました。それが突然やることがなくなった。忙しいといえることがどれだけ幸せだったかを痛感しました」と振り返る。何から手をつけていいのか、施設栽培を続けたいが莫大な費用がかかる、補助はあるのか。 見通しの立たない現状に不安が募ったが、妻・清美さん(59)の「なるようになるわよ」とのやさしい一言に心を救われた。
 施設内の片付けは、多くのボランティアにも助けられた。「重たい鉄パイプのベンチを運び出すのは重労働ですが、延べ60人のボランティアの方々は一生懸命やってくれた。そんな姿に『やらなあかん』って思いがこみ上げてきました」。しばらくすると「県、町から補助が出る」との朗報も届き、再出発に踏ん切りがついた。
 被災から3カ月以上過ぎ、「竜巻や台風など自然災害ではこれまで補助などなかった。(今回再建費に対しての)3分の2の支援は本当に助かる」と行政の対応には感謝したうえで、「施設は日高川の堤防の真下。二度と同じ被害が出ないようしっかり対策してほしい」と切に願う。いまは少し栽培しているミカン収穫に精を出す毎日。施設の復旧には時間がかかるが、「6月ごろには完了させたい。またいつか『忙しわ』といえる日がくることを目標に頑張っていきます」。どんな困難も夫婦二人三脚で乗り越えていくつもりだ。