台風12号の影響で大きな被害を受けた日高川町では、2週間が過ぎた現在でも12世帯26人の住民が避難所での生活を余儀なくされている。電気は全域で復旧、断水も解消するなどライフラインは日に日に回復しても、日高川の濁流が爪痕を残した自宅には依然として住めない状況。住民らは洗濯は手洗い、風呂は遠くへ足を運ぶなど不便な暮らしを強いられているが、「周りの人々、地域に感謝している」と声をそろえている。
台風12号による日高川の氾濫で4日未明には300世帯922人が各地の避難所に向かった。2週間が過ぎても一部住民は7カ所の避難所に残ったまま。
姉子集会所には3世帯9人が暮らしている。三十木に住む30代の男性は、自宅1階部分が完全に水没。自身の仕事道具などは2階で無事だったが、家財道具などがダメになり、妻の大学時代の芸術作品など思い出の品なども流された。避難所では断水など何かと不便な上、安全面も考慮して妻と子どもは実家の大阪に帰し、自身は家の片付けに追われている。離れ離れの生活だが、「男1人なので何とかなる」と洗濯は手洗い。風呂は無料サービス中の温泉施設に足を運ぶこともあるが、谷水でさっと体を洗い流すだけの時もある。そんな不便な暮らしの中でも、被災当日(地元区)はもちろん、その後も町からの食事提供があり「1食も欠けておらず、風呂はもらい湯することもあります。本当にありがたい」と感謝。住宅が復旧するまで間もなく空きアパートに移り住むことになっており、親子3人の暮らしが始まる。
同じ避難所で暮らす会社員の30代男性は妻と8歳の児童、5歳の園児の4人家族。自宅は同じく1階部分が完全につかり、家財道具をはじめ子どもたちの大切な玩具なども台無しとなった。やはり洗濯が悩みの種で、市内でコインランドリーを利用することもあるが、ほとんど妻が家族4人分の洗濯物を手洗い。かなりの重労働になっており、風呂については温泉施設を利用しているが、毎日施設に出向くのはなかなかの苦労だという。「60年ぶりの水害ということだが、 今後も頻繁に起こる心配はないのか。川沿いだから不安があります」と表情を曇らせる。その一方で、子どもたちはいままでと勝手が違う生活ながらも元気いっぱい。同じ避難所の男性が望遠鏡で遊んでくれたり、幼稚園や小学校の友達も来てくれたりするという。避難所での暮らしについて「それなりの楽しみもあります。みんなのおかげでいろいろなことが本当に助かってます」と語る。家の片付けもほぼ終わり、15日から仕事を再開。日に日に元の暮らしを取り戻しつつある。

