アポロ11号月面着陸、東大安田講堂占拠などがあった60年代、さらにあさま山荘事件、インベーダーブームなどの70年代。当時のヒット曲とともに、時代は10年ごとに区切られ、昭和というタンスの引き出しに出来事が整理されている。ことしもあの大きなタンスの埃をはらい、上から2段目(11~20年)の引き出しが開けられる夏を迎えた。
 一般市民も含め、約310万人が犠牲となったあの戦争、日本人はなぜあれほど無理を重ねて戦いを進めたのか。巨大組織陸軍の暴走、国家存亡の危機に追い込まれた末の自衛の戦い、帝国主義の侵略などいろんな見方があるが、どう考えても勝ち目のなかった対米戦になぜ踏み切らざるをえなかったのか。
 終戦記念日に合わせた連載を企画し、日高地方の元軍人、遺族、関係者を訪ね歩いた。日本が突き進んだあの戦争を否定することから出発した戦後、どの人も長らく自発的に体験や考えを口にすることはなかったが、ここにきて、いまの日本を憂い、平和を願う気持ちから、問われれば遠い記憶をさかのぼって答えてくれる。そこから歴史の答えをたどるのは難しいが、とつとつと語られる言葉がどれも、貴重なヒントであるのは間違いない。
 生きて虜囚の辱を受けずという戦陣訓。これが多くの悲劇を生んだという見方もあれば、「あんなものは軍人の間でたいして意識されていなかった」「当時も戦後もマスコミがそれを悲劇の要因として騒いでいるだけ」という証言もある。どちらも正しいのだろうが、どちらがより事実に近いのか。マスコミは体験者を「故老」として構えることなく話を聞き、昭和のタンスの引き出しに証言を保存していかねば。    (静)