平成7年1月17日午前5時46分、今まで体感したことがない揺れと地響き。16年経ってもはっきりと記憶に残っている。
 大きな被害を出した阪神淡路大震災。その日、午前3時にアルバイトを終え、友人数人とともに朝まで飲もうと自宅へ帰った。学年末のテストも控えていたことから2時間ほどでお開きにし、寝床についてすぐだった。テーブルの上に乗っていた飲みかけのお茶が入った湯のみが頭に落下し、台の上に置いていたテレビが床にドン。お茶の冷たさで、いま起こっていることが現実だと認識でき、揺れはいつまで続くのか、死の恐怖の中で数分間を過ごした。
 しばらくすると、水道管が破裂していて部屋のじゅうたんが水浸し。アパートの外ではサイレンの音が鳴り響いていた。大阪府茨木市での地震体験。あの出来事は本当に忘れられない。
 5日夜の地震。市内でも大きな揺れを感じた。発生当時、居酒屋にいた。ボトルがあわや他のお客さんの頭に直撃しそうになったが、幸いけが人はなかった。ただ、自分たちののんきな対応はどうだったのかと思う。東日本大震災で地震の怖さを嫌というほど見せつけられながら、「津波はこないだろう」。酒が入っていて気が大きくなっていたことも危機意識を欠落させていた原因だが、どんなに怖い体験をしていても見ていても、やはり「のど元過ぎれば...」の感覚になっていたのは間違いない。
 揺れの最中に携帯電話の緊急地震速報が鳴ったように大災害の予知は難しいが、日ごろの意識と訓練で最善の対応の準備はできる。海岸線にいなくても酒を飲んでいても、まず高台へ。勝手な予測はせず、行動することが大事だったと反省が必要だろう。 (賀)