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プライバシーが守られずストレスから体調を崩す避難者
 3月11日の大地震からもうすぐ3カ月。今月4日現在の被害は死者1万5355人、行方不明8281人をかぞえ、いまも10万人近くが体育館や公民館での避難生活を余儀なくされている。床が冷たく、プライバシーもなく、食事は炭水化物に偏る長期の避難所暮らし。健康だった人も体の不調を訴え、ストレスから精神面のバランスを崩す人もあとをたたない。 
 
 和歌山県は4月上旬、厚生労働省の要請を受けて公衆衛生医師らの派遣を開始し、先陣を切って御坊保健所チームが6日から11日まで福島県に派遣された。野尻孝子所長(56)をリーダーに女性保健師2人、男性栄養士1人、男性薬剤師1人の5人。行き先は郡山市と田村市の間にある三春町で、約50㌔西には福島第一原発があり、内陸部の三春町自体は死者、行方不明者がなかったが、避難指示を受けた原発周辺の住民を受け入れている。トップの御坊保健所チームは現地で使う車を和歌山から運転して行かねばならず、高血圧など必要と思われる医薬品も大量に持ち込まねばならない。現地ではごく微量の放射線が観測されていたが、感染予防のためのマスク以外は普通の格好で、町内の沢石会館、町民体育館など4カ所の避難所を回り、7日から10日までの4日間で約200人に面接、健康台帳を作成した。
 
 多くは避難指示を受け、慌ただしく家を出てきた富岡町の人たち。混乱の中で持病の薬を持ってくるのを忘れた人もいれば、連日の寒さとストレスからか、ふだんは高くないのに、何度測っても血圧が200を超える人もいた。医師免許を持つ野尻所長が1人ひとりを診察のうえ、花粉症や風邪には和歌山から持ってきた薬を処方。血圧が急上昇していた人には、病院でちゃんと診てもらえるよう紹介状を書いた。また、脳卒中の既往症がある70代の男性は体を動かすのが不自由で、栄養状態が悪く、風呂にも入れない生活から、背中に褥瘡(じょくそう=床ずれ)ができていた。
 
 避難者と自治体の職員が同じ空間で寝泊まりする避難所。野尻所長は「東北の方は我慢強いといわれ、たしかにそう感じましたが、あのプライバシーのなさはお互いに相当のストレスだと思います。プライバシーの確保、こころのケアが必要だとつくづく感じました。また、物資があふれる避難所で、必要なものがすぐに出せるよう、医薬品等の整理も職員さんに指導しました」という。
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全国から災害医療のエキスパートが集まり、毎日意見を交換した
 和歌山県の医療面の支援では、地震発生1週間後の3月19日から、県立医科大付属病院、紀南病院など県内の地域中核医療機関がローテーションを組んで医師や看護師を岩手県に派遣している。医療活動の拠点は、下閉伊郡山田町にある豊間根(とよまね)中学校。体育館と格技場の2つの避難所とは別に、校舎1階の教室を救護所とし、第1班の県立医大病院チームが自分たちの病院から医療器具や医薬品、AEDなどを持ち込んで開設した。日高地方からは4月9日から13日まで、国保日高総合病院の松中秀之第一内科医長ほか看護師2人(男女各1人)、男性薬剤師1人、男性理学療法士1人の計5人のチームが第8班として送り込まれた。
 
 この時点で地震から1カ月が経過。重いけがや症状が激しい急性期の患者はなく、風邪の症状や生活習慣病の患者がほとんどだった。ストレスがたまる避難所の患者の中には、「眠れない」「元気が出ない」といったうつ症状を訴える人もいた。会議用の長机にパイプ椅子、廊下が待合室という急ごしらえの救護所で、松中医師は患者に対して普段通り、「震災の恐怖や悲しみを思い出させるようなことは聞かないように」しながら、相手の話をじっくり聞くことに努めた。現地と本部(県立医大病院)の連絡調整員も兼ねて参加した理学療法士の橋尾学さんは、松中医師をそばで見ながら、「先生の和歌山弁と患者さんの東北弁がともに温かく、患者さんの笑顔を見たとき、和歌山の医療が伝わったんだと、誇りに思いました」という。
 
 そんな松中医師ら日高病院チームも、山田町に集結している全国の医療支援チームの中ではまったく無名。他は阪神大震災の医療支援でも活躍した日赤兵庫県支部をはじめ、国立病院機構名古屋医療センター、国立長寿医療研究センター、昭和大学病院、陸上自衛隊医療班など医師も看護婦も超一流ばかり。それぞれの医師らが一堂に集まって現状を報告、課題等を話し合うミーティングでは、素直に、災害医療のニーズを知るエキスパートの意見、考えが勉強になった。松中医師は「私たち地域医療に携わる者が被災地へ派遣されたことも、こうした機会に少しでも一流のノウハウを学んでこいという意味もあると思います。ただ、その精鋭たちを受け入れる地元の行政側は初めての経験で、保健所の担当職員もミーティングで出されるいろんな意見や提言を処理するのが難しそうでしたね」と振り返る。
 
 長期の避難所暮らしが続き、お年寄りはどうしても笑顔が少なくなりがち。そんな人たちを励まし、元気づけたいという思いから、全国からボランティアが押し寄せ、芸能人も多くやってくる。日高病院チームが滞在中には、タレントの山田邦子が「山田だから山田町に来ました」と、ラサール石井とともに訪れた。避難所の人だけでなく、周辺の住民も集まって大いに盛り上がったが、結果、流行しはじめていたインフルエンザが拡大してしまったという。医師の目には迷惑な人気タレントの訪問も、避難所を運営する職員にすれば「みんなが喜んでくれれば」という心遣い。各地の避難所では毎日のように、現場を支える人たちの葛藤が続いている。