国産飛行船の初飛行成功から100周年を記念し、飛行船のミニチュアモデルを作るイベントが、先月末に日高川町川原河の山村開発センターで行われた。和歌山市の模型メーカー「エアロベース」経営の岩見慎一さんに教わりながら、親子ら14人が飛行船の工作にチャレンジ。取材のために訪れたが、筆者も仕事を抜きにして参加すればよかったと後悔した。
 100年前に飛行船を開発したのが、和歌山市出身の山田猪三郎という人物。氏は、明治19年に串本大島沖で起きたノルマントン号の遭難事件を受けて、救命具の開発を志し、東京芝浦に救難浮き輪製造所を開設。30年から気球の製作に転じ、33年には日本で初めて円筒型係留気球を発明。その後、大崎に飛行船製作工場を設け、43年には50馬力のエンジンを搭載した山田式1号飛行船を完成させ、大崎から青山練兵場までの自由飛行に成功。第3号飛行船は大崎からお台場を巡る総飛行距離20㌔の周回飛行も成し遂げた。
 和歌山市内では昨春、氏の命日に初飛行100周年を記念して慰霊祭が営まれたが、筆者はこの報道をきっかけに偉大な氏のことや、初飛行成功の偉業を知ることができた。秋には同市内でもミニチュアモデル工作イベントが行われ、今回の美山での催しは特別開催だった。参加者はステンレスを折ったり、パーツを組み合わせるなどして機体を製作。紙粘土で作った空気調整袋を樹脂製の気嚢(きのう)に積んでオリジナルの飛行船を完成させ、笑顔がはじけた。工作のあとは、岩見さんから氏や飛行船について学んだ。偉大な先人のことを知り、偉業に思いをはせる。こんな心温まる素晴らしい機会がこれからもあってほしいと思う。        (昌)