20107023-1.jpg 団塊世代の大量定年時代に長引く不況が重なり、田舎はいま、新たなライフスタイルを求める人たちのIターンが増加中。京阪神からの移住先として人気ナンバーワンの和歌山県にも多くの人が移り住み、なかにはIターンの人たちが集まって新たなまちおこしの動きもみられます。今回は印南町印南原の南家勝見なんけかつみさん(67)を中心に、都会からの移住者が集まって自然発生したLLP(有限責任事業組合)楽らく紀州の活動を紹介します。
 
 毛利氏三十六万石の城下町。吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文ら近代日本の礎を築いた逸材を輩出した山口県萩市に生まれた南家さんは、子どものころから船の通信士になるのが夢で、香川県の詫間電波高校(現香川高専詫間キャンパス)を卒業後、日本を代表する海運会社、日本郵船に就職。日本の高度成長を支えた海運事業の最前線で、輸出では雑貨や車、輸入では石油や石炭を満載した船に乗り込み、若いころは1回の航海が100日以上というタフな生活が続きました。
 
20107023-2.JPG  しかし、時代とともに事業形態が変わり、船の人員が最小限まで減らされ、奥さんと2人の子どもとの連絡もままならない海上生活は肉体以上に精神面の疲労が大きく、45歳で退職。陸に上がってからは、名古屋のベッドタウンの春日井市に居を構え、コンピュータ関連の会社で60歳の定年まで勤めました。最後の3年間は東京で単身生活。「退職したら田舎で農業をして暮らしたい」という思いはさらに強くなり、いまから7年前の平成15年3月に印南原の家と土地を購入しました。その後、毎月1回、春日井から車で通って1年かけてリフォーム等を行い、16年3月、奥さんと2人で引っ越してきました。
  食べ物も空気もおいしい田舎は予想以上にストレスがなく快適。競争社会で心に余裕のなかった都会に比べ、「人の心のふれあいが温かく、海と山の自然はぜったいになくしてはいけない宝だと思います」。同じように都会から移り住んできた友達とお酒を飲んでるうち、「みんなで何かやろうよ」と盛り上がり、19年の元日、南家さんも含め6人のメンバーで、設立が容易で法人税がかからず、株式会社と民間組合のええとこどりのLLP「楽らく紀州」を立ち上げました。
  当初は田舎暮らし支援として、リフォームやログハウス建築、塗装、電気設備工事、草刈り、結婚相談など、それぞれの経験や資格を生かした仕事を請け負う「サポート部」を中心に活動を開始。 その後、みかんや梅干し、備長炭など自分たちの農産物や和歌山の特産品を扱う「通信販売部」ができ、現在は3つ目の事業として、農家の後継者不足により増加している耕作放棄地や遊休農地、空き家の問題に対応する「農業部」を準備中。農地を市民農園として都会の人に貸し出したり、都会からのIターンを受け入れたり、町行政と連携しながら対策を検討しています。通販の申し込みは℡0181かインターネットで「楽らく紀州 梅しぼり」をクリック。
  また、県の緊急雇用対策として、和歌山の地域資源を生かした産業のUIターン人材を育成する「和の仕事人になろう」プロジェクトで、堺市から来た谷口正樹さん(38)を受け入れ。谷口さんは楽らく紀州と提携しているみなべ町の梅農家で梅ジャムやイノブタの脂を使った石けんづくりを勉強していて、「農業も加工品づくりもとてもおもしろい取り組み。こちらに来て健康的で刺激に満ちた毎日を送っています」とにっこり。
  南家さんは「工場を誘致するのもいいですが、この豊かな自然を守りながら、都会の人たちを呼び込む形でまちが発展できれば。地元の人にすれば、私たちはやはりよそもん。あまり派手に動き回るとひんしゅくを買うことにもなり、いつもそれだけは気をつけようとみんなで相談しながら、これからのまちのあり方を考えています」と話しています。