201050712.JPG 都会の人たちの間で田舎暮らし人気が高まるなか、都会を拠点に週末だけを田舎で過ごしたり、都会と田舎を半々に行ったり来たりする「二地域居住」の人たちがいる。観光客など一時滞在の「交流人口」と「定住人口」の中間的な生活様式。その数は近年、増加傾向にあり、今回はそのライフスタイルを堺市と日高川町佐井(旧中津村)で実践、いまやすっかり田舎の日高川にとけこんで暮らす加藤さん夫婦を訪ねた。
 京阪神の人たちの間で人気の和歌山県は、都会から近くて交通の便がよく、自然もいっぱいの「とかいなか」。もともと田舎の人が都会に出て就職、結婚し、定年退職を機にふるさとへ戻るUターン、生まれも育ちも都会の人がスローライフを求めて移り住むIターンなどは、田舎に住みついてしまう「定住型」と呼ばれ、定住ではない滞在型にもいろいろなパターンがある。
 年に数回、1~3泊程度、田舎を訪れる 「短期滞在型」、週末や1週間の半分を田舎で暮らす「往来型」、農林漁業や伝統工芸技術を学ぶことを目的に滞在する「研修体験型」など。このうち、都会と田舎の両方に家を持ち、行ったり来たりする往来型が近年増えている二地域居住で、加藤友昭さん(69)と茂登子さん(61)の夫婦はいまから4年前、堺市から日高川町佐井に移り住んできた。
 友昭さんは堺で生まれ、18歳まで愛媛県新居浜市で育ち、その後、 大阪に出て電力会社に定年まで勤務。退職後も別の会社で66歳まで仕事を続け、65歳のときに日高川に家を建てた。27歳で茂登子さんと結婚、サラリーマンをしながら茂登子さんの実家の畑で南高梅や野菜の栽培を楽しんでいたという。
 茂登子さんは10年ほど前まで花を生産販売している弟の会社に勤めたあと、自ら造園や花の販売、ハーブ講習会などを手がけるガーデニングの会社を設立。娘と会社を経営しながら、実家の畑で友昭さんと野菜作りをしていたが、「こんな狭いところでは毎日の畑仕事もそのうち飽きる。もっと広い畑にいろんな花を植えたい」と夢がふくらみ、友昭さんと御坊市内の不動産業者に「堺から2時間ぐらい、土地は300坪以上あって、自然が豊かで、県道に面していて...」などと「言いたい放題の条件」(友昭さん)をぶつけ、半分あきらめていたところ、日高川に理想の土地が見つかった。
 「360度を山に囲まれ、ここから見えるメタセコイアの木など周囲の景色も気に入り、さっそく土地を買って家を建てました」と友昭さん。当初は会社の仕事をしながら堺と日高川を行ったり来たり、1カ月に4回ぐらい往復していたが、その仕事も66歳で辞め、完全にリタイアした。以来、茂登子さんと2人、生活の重点は少しずつ日高川の方に傾き、いまは家の周囲に約1000坪の畑を借り、土を耕さない「不耕起栽培(ふこうきさいばい)」でキュウリやナスビ、トマト、キャベツなどを作り、自給自足、晴耕雨読のスローライフを満喫。ことしは田んぼを借りて初めての米作りにも挑戦するという。茂登子さんも近くの休耕田を利用してハーブガーデンをつくり、同じ花の趣味でつながる友達と楽しい毎日。2人は「畑仕事は健康にいいし、お酒も食べ物もおいしい。地元の人たちにお世話になりっぱなしですが、同じIターンの人たちとの交流も楽しく、日高川へ来て本当によかったです」としみじみ語る。
 この春には大阪から孫の圭介君(小学5年生)と進介君(4年生)が初めて泊まりがけで遊びにきた。2人は連日、朝早くから大好きな「じいじ」とカボチャの霜対策を手伝い、土にまみれて元気いっぱい。夏休みには妹の暖(はる)ちゃん(1年生)も一緒に野菜を収穫したり、川で魚を釣ったり、カブトムシをとったり...いまから待ち遠しい友昭さんと茂登子さんだ。