大河ドラマ「豊臣兄弟!」は秀吉と家康・信雄連合軍の小牧・長久手の戦いが終わり、先月20日の放送では和睦後の秀吉の四国攻めが描かれた。残念ながら根来寺や粉河寺の炎上、太田城の水攻めなど紀州征伐のくだりは全カットだった。

 日高地方の人にとって、秀吉の紀州攻めといえば真っ先に、亀山城と城下の小松原館を拠点に日高平野一帯を支配した湯川(湯河)氏が思い浮かぶ。教科書には出てこないが、明智光秀との密約、直春の毒殺などスリリングな逸話や伝説は多い。

 秀吉が紀州へ攻め込んだ際、亀山城主直春は抗戦の構えで娘婿の手取城主玉置直和に共闘を呼びかけるが、直和は秀吉に降伏。これに怒った直春は手取城を攻め落とすが、その後、秀吉の軍勢に取り囲まれ、自ら亀山城と館を焼き、熊野へ撤退したという。

 このあたり、ネットを検索すれば諸説あり、直春は城に火を放ったあと、日高川の上流へ退却し、山奥へ進軍してきた豊臣軍にゲリラ戦で対抗。敵の大将の1人を討ち取る大金星を挙げたとの説もある。

 自ら城を焼き、戦わずに逃げたというのは一見、しっぽを巻いて逃げる負け犬のようにも聞こえるが、いったん引いて体勢を立て直し、局地的な戦いに持ち込んで反撃に出るというのは弱者の常道。正解のない極限の状況下、武将は何を信じ、何を守るために決断を下したのか。

 現在の私たちの安全保障環境も戦国時代同様、どの道を選んでも危機はある。世論は常に最新のメディアと結びつく。書状、新聞、ラジオ、テレビを経て、SNSが情報の主役となったいま、熱狂からの戦いを避けるため、備えとともに、内外からあふれ出るフェイクのを排除を。(静)