母怜子さん(奥右)の体験から当時の勤労動員について語る花澤さん

 日高平和委員会(山本喜平代表)の講演会「戦後81年目の今明らかになる米軍上陸を想定して美浜町の煙樹ケ浜周辺に駐留していた護阪部隊の実態と陣地づくり」が19日、同町中央公民館で開かれ、戦時中、御坊市藤田町に疎開していた花澤怜子さん(93)の長男徹さん(56)=千葉県在住=が母の経験した日高高等女学校生の勤労動員について記録をもとに語った。

 当時、陸軍の第144師団歩兵第414・415連隊が御坊に駐留しており、煙樹ケ浜でトーチカ築城のための石や砂利を運搬する作業に学生が従事した。花澤さんは独自に調査した資料を示しながら、日高高女の生徒たちが作業に要した消費カロリーを推測して紹介。「少女たちは2人一組でモッコ(土砂の運搬用具)を担ぎ、15㌔の砂利を運んだ。毎日のことで、肩がはれ上がって治る暇もなかった」など話し、同席の怜子さんも「指揮官がサーベルをガチャガチャいわせながら毎日学校にやってきたのを覚えています」など回想した。花澤さんは「声なき民の声を拾って未来へつないでいくことが大切」と訴えた。

 続いて美浜町和田(入山)の三宝寺住職湯川逸紀さんが「日高地方に残る戦争の爪痕」をテーマに語り、三宝寺の地下にあったトーチカ等について詳しく解説した。