
幕末の暗殺と云えば桜田門外の変、池田屋事件、佐久間象山暗殺、芹沢鴨暗殺などであるが、暗殺といえばやはり坂本龍馬暗殺である。しかしこの本には様々な暗殺が記されている。というのもペリー来航から王政復古までの数十年に渡り暗殺の数は百件を超えるからである。そしてまた殺人剣も登場する。人斬り以蔵や新撰組などだが、その全てをここに紹介することはむりなので、龍馬暗殺の詳細だけ紹介する。(以下引用)
―龍馬は藩邸近くの、河原町の商家近江屋に潜伏する。はじめ土蔵を使っていたが、風邪をひいたため母屋の二階に移った。ここの奥の八畳で中岡慎太郎と会談中、数名の刺客に襲われる。刺客は従僕に十津川郷の者だと名乗り、名刺を渡して龍馬への面会を求めた。取次を終えて出てきた従僕を切ると龍馬の部屋へ乱入した。龍馬は床の間に置いた佩刀吉行を抜くこともできず、額や背などを切られて「石川刀はないか、石川刀はないか」と叫び倒れた。中岡慎太郎は佩刀を抜くこともできず十一か所も切られた。刺客たちは「もうよい、もうよい」と言って立ち去った。享年龍馬三十三、慎太郎三十であった。―
犯人は当初新撰組と思われたが後に京都見回組の今井信郎であると判明する。これを命じたのは組頭の佐々木忠三郎である。
元新撰組幹部の伊藤甲子太郎は龍馬に刺客が迫っていると伝えていた。しかし龍馬暗殺の三日後に新撰組に暗殺された。この伊藤は昭和七年、靖国神社に合祀される。この本によると靖国合祀は坂本龍馬や吉田松陰、佐久間象山など暗殺で亡くなった人々も合祀されている。靖国神社とは何なのかを知ることもできる。
最後に岡田以蔵、通称「人斬り以蔵」について紹介する。
土佐の郷士の子として生まれた以蔵は剣の師である武市半平太に従って江戸へ赴く。勝海舟も以蔵の剣の腕について「未だ以蔵のごときを見ず」と云い以蔵の剛剣に驚嘆している。しかし、この以蔵の剛剣は殺人剣であり師匠の武市に嫌われた。武市の密談中とそこに出た武士の名を聞くと、その場から立ち去り、その者を暗殺してまた何食わぬ顔をして戻って来て密談に加わったという。このような有様であったから師の武市も見放し、二十八歳で郷里で斬罪に処せられた。
暗殺は明治維新後も続き、横井小楠、大村益次郎等も殺されている。いずれも皇国を踏みにじり西洋蝦賊に感化されたという理由であった。(秀)


