特攻隊員らが別れを告げた開聞岳

御坊市の大川秀樹さん、ホール靖代さん

陸上自衛隊健軍駐屯地敷地内に建立された 「義烈空挺隊之碑」 とともに、(左から)大川さん、秋山さん、ホールさん、東さん

 義烈空挺隊の一員として1945年(昭和20)5月24日、沖縄戦に出撃し、23歳で帰らぬ人となった中本甚之助さん(旧御坊町島出身)。その姉の孫である大川秀樹さん(67)、大川さんの従妹のホール靖代さん(64)はそれぞれに祖母や母親から「特攻隊員だった大叔父がいる」ということは聞いていた。特攻といえば「知覧」と誰もが思っており、大川さん、ホールさんも「大叔父は知覧から飛び立った」と思っていた。

 母から「甚ちゃんは背が高くて男前だった」と聞き、親しみを感じていたホールさんは20歳のとき、祖母と叔父に頼まれて大叔父の慰霊のため沖縄へ行き、不思議な体験をした記憶がある。

 糸満市摩文仁の平和祈念公園には「平和の礎(いしじ)」があり、戦没者24万人の名前が刻まれている。そこへ行き、並んだ碑に刻まれた「中本甚之助」の名を見つけたのだが、そこまで行き、手を合わせて拝んでいる間、ずっと1羽のアゲハチョウがホールさんについて飛んでいた。チョウは亡き人の魂の化身といわれる。「このチョウはきっと『甚ちゃん』なのかもしれない」と強く感じた。その経験があったので、大川さんから熊本行きを打診されたときはすぐに「行く」と答えた。

 大川さんに「熊本県へ来てほしい」と連絡したのは、菊池市にある菊池飛行場ミュージアムの永田昭館長。普賢菩薩の移設に伴い、かかわった5人の義烈空挺隊隊員の遺族を探して連絡した。大川さんの呼びかけでホールさん、甚之助さんのめいの秋本伊津子さん(68)、東多美子さん(62)の4人で熊本へ行くことになった。

 4人は飛行場ミュージアムで永田館長から、義烈空挺隊のこと、知覧ではなく熊本から飛び立ったこと、健康湯と普賢菩薩像のことなど教わり、「訓練に明け暮れた日々の合間に人間らしい日々を送っていた」と胸が熱くなる思いだった。その後、普賢菩薩像のある浄円寺を訪ね、「甚ちゃん」「やっと会えたね」と呼びかけながら像に花を手向け、手を合わせた。また、観音湯の女将堤ハツさんの孫、堤裕倫さんとも会う機会を持ち、感謝を伝えることができた。

 陸上自衛隊健軍駐屯地敷地内では「義烈空挺隊之碑」を見て、きれいに保たれている様子に碑に敬意を抱いてくれていることを感じた。

 知覧や熊本から飛び立った特攻隊員がその上空を旋回し、故国に別れを告げたといわれる開聞岳(かいもんだけ)も見た。ホールさんには「あの青い木々の一本一本は、特攻で亡くなった方々の魂である」と強く思えた。「開聞岳の碧さに『亡くなられた隊員の魂があんなに碧々として今ここに生きているのか』と感じ、涙が止まりませんでした。あの時代に生きた方々はどんな思いだったかと思うと胸が詰まります。甚ちゃんのような方々のおかげで今、私たちの平和があると思います」。

 先月28日、令和8年熊本地震が発生。大川さん、ホールさんは「暑さの中、復旧作業も本当に大変なことと思われます。くれぐれもお体を大事になさっていただきたいと思います」と気遣っている。