やさしさ、強さを願って
日高川町の中谷澪子さん(83)
1945年(昭和20)3月以降、日高地方にも頻繁に艦載機や爆撃機が現れるようになった。中谷さんが住んでいた日高郡松原村(現美浜町)も6月22日に大きな空襲があり、浜ノ瀬地区の住民ら51人が犠牲となった。
このとき、中谷さんは2歳と1カ月。個人差はあるものの、一般的には簡単な言葉を理解し始めるころで、中谷さんもこのころの記憶は何もないが、地響きのような大きな音が聞こえたのを覚えている。
家は「切れ戸」と呼ばれる新浜地区と浜ノ瀬地区の境界の近く。中谷さんの記憶では、空襲警報が鳴って家族と防空壕へ入り、その中で飛行機の爆音のような「ものすごく大きな音」を聞き、怖くて震えているうち、だんだん息が苦しくなった。壕の中では「子どもの泣き声が敵に聞こえたら狙われる」という理由で、泣き叫ぶ子どもは大人がその口を手でふさいでいた。中谷さんも口をふさがれ、小さかったためうまく鼻で呼吸ができなかったようだ。
大きくなって、この恐怖体験を友達に話したところ、「そんなん、2歳の子が覚えてるわけないやん」「あんた嘘ついてるやろ」といわれた。音の正体ははっきりしないが、手で口をふさがれていたのは家族の証言もある。「いわゆる物心がついたのは5歳ぐらいで、それまでの記憶は何もないんですが、あの音だけはいまも耳にこびりついています」。

中谷さんはそれが6月22日の出来事だったと考え、これまで戦争を語る会などで何度も話をしてきたが、数年前、奈良に住む浜ノ瀬出身の同級生の女性にこの話をしたところ、「私もまったく同じ記憶がある。澪ちゃんより誕生日が半年も遅い私が覚えてるんやから、澪ちゃんの記憶は絶対正しい」といわれ、ぼんやりとしていた記憶が確信に変わった。
先月、美山小学校の平和学習で、5・6年生12人にこの話をした。子どもたちは、幼い子どもの戦争体験がトラウマ(心的外傷)となり、それが80年たっても消えることなく記憶に残っていることに驚きの表情。中谷さんの話だけでなく、他の講師が読んでくれた紙芝居「かわいそうなぞう」や戦時下の人たちの一般的な服装を実際に着て見せてもらい、戦争の異常さ、恐ろしさ、平和のありがたさを感じた。
同校の高垣利加校長は今回の平和学習について、「本や映像の教材で学ぶのとは違い、身近な人から聞く本物の体験はやはり心に響きます。子どもたちもいまの自分の生活と比べ、平和を考えるいい機会になったと思います」と振り返る。
中谷さんは子どもたちに絵本を読み聞かせる際、「やさしさは強さ」という思いが常に頭にある。「やさしく、強く、正しく、思いやりのある子になってほしいとの願いを込めて話をすれば、それがたとえ戦争の話でなくても、平和を願う心につながると信じています」という。


