心揺さぶられた七夕の短冊

日高川町の中谷澪子さん(83)

 終戦から81年目の夏。戦争を直接知る世代が少なくなり、10代、20代の若者にとって日米の戦争は、日清や日露と同じ遠い過去の歴史となった。戦場や空襲の体験を自ら語ることができる人はほぼいなくなり、小中学校の平和学習も遺品や写真などの資料を通じて想像を膨らませるプロセスが不可欠となっているなか、幼いころのかすかな戦争の記憶を子どもたちに語り継ぐ人たちがいる。

 日高川町小熊の元中学校教諭の中谷さんは、戦時下の1943年(昭和18)5月、日高郡松原村(現美浜町)の新浜に生まれた。終戦時は2歳。学校を出て教師となり、旧美山村寒川へ嫁いでからも教壇に立ち、寒川中や愛徳中で英語と美術を教えながら、演劇部の指導に情熱を注いだ。

 演じたのは「アンネの日記」「サウンド・オブ・ミュージック」「命(ぬち)どぅ宝(たから)」「父帰る」など。演技やダンスだけでなく、発声練習の方法もすべて生徒たちで話し合って考え、自発的に取り組む姿勢を尊重した。ゼロから始まる作品づくりは仲間とともに悩み、工夫を重ねながら少しずつ形ができる。一つの舞台として完成していくなか、目に見えて成長する子どもたちに自分も成長させてもらった。

子どもたちには自らを「みおば(澪婆)」と名乗り、サークルの活動や学童保育などで楽しく絵本を読み聞かせる中谷さん

 「みんなで苦労、喜び、感動を共有すると、子どもたちは『今年は去年よりいいものを』という気になる。やりたいことを実現するためにみんなで自発的に取り組むことで、本当に強く、やさしく、思いやりのある子に成長するんです」。その取り組みと成果が県の教育研究大会で認められ、全国の大会で発表したこともある。

 60歳で定年退職後は地域の読み聞かせサークルの一員となり、子どもたちには「みおば(澪婆)」と名乗って絵本を読んでいる。先月、御坊で開いた七夕の読み聞かせ会では、子どもたちに願いごとを書いてもらった。「野球選手になりたい」「お金持ちになりたい」といった将来の夢が多かったが、一枚の短冊に思いがけず心を揺さぶられた。

 「ボクらが大きくなったとき、日本が戦争のない国であってほしい」
 ヨーロッパや中東で戦争が続いているせいか、幼い子どもが目の前の現実に危機感を覚え、未来へ続く平和を求めていた。中谷さんはこの小さな叫びに、「自分はもう生い先短い身ではありますが、この子の願いを無駄にしないよう、何かこたえられるような生き方をしなければと思いました」と振り返る。

 子どもには、何があっても心の手を放してはいけない――。かつて、ともに演劇に打ち込んだ生徒たちから教えられた思いをあらためて強くした。

 その10日後、日高川町の美山小学校から元教諭の仲間とともに平和学習の講師に招かれ、中谷さんは子どもたちに81年前の戦争の記憶を語った。