
第百七十五回直木賞はオードリー若林の「青天」が候補作となって注目を集めている。過去にも芸能人が候補となり話題を集めたことがある。例を挙げると、中山千夏(タレント)、阿久悠(作詞家)、SAORI(ミュージシャン)、加藤シゲアキ(アイドル)、落合恵子(DJ)等である。若林の高校時代のアメラグ部員のことを題材とした青春小説「青天」が、過去のこれらの作品と比較して抜けているようには思えない。
これに比べて蝉谷めぐ実氏の「見えるか保己一」は他より抜けているように思える。
この作品は全盲の国学者、塙保己一の生涯を描いているがそれだけではない。まず章立てである。各賞に二つの意味を持たせている。第一章の「むしの子」は―「虫の子」と「霧視の子」―となり、これは幼少時代の塙保己一の目が悪くなっていく姿を描きそこに二つの意味を持たせている。第二章の「えんていの水」は―「淵底の水」と「園庭の水」―。これは江戸に出て按摩として働きだすが按摩では保己一の才能が活かされない苦難の様子を描いている。第三章の「せでに触れて」では―「素手に触れて」・「既に触れて」―であり、全盲である保己一が江戸の文化人太田南畝や蔦屋重三郎等と知り合い頭角を現す様が描かれている。妻のお丁が保己一の手に触れ導く様子も描かれるが、しかし全盲な保己一をいいことに妻が弟子との不倫に気付かなかったことも描かれる。このように各章に二重の意味を持たせているのである。
「郡書類従(古今のあらゆる書籍を分類編集した書物)」や国書、律令、六国史、その他数々の著作をあらわした保己一は総検校の位(旗本と同格)まで登り詰める。これは将軍に謁見できる地位である。しかし、保己一は盲の惣領としての謁見ではなく学者としての謁見を望んだ。
保己一は単に学者としての業績だけではなく、自ら目が不自由なゆえ、不自由を抱える者の待遇を変革した「座法定書」を著わし、不具者を見世物小屋で見世物として扱うことを禁止することに尽力した。このため保己一は京都まで赴き宮中に申し出たのである。
そんな保己一を見て、太田南畝は次のような狂句を作った。
―番町で目あき目くらに道を聞き
番町は保己一の住居である。この狂句に読み込まれている道とは、道案内の道ではない。学問の道、人の道を含んでいるのだと、後に多くの人が気付くのであった。(秀)

