豊臣秀吉とその弟・豊臣秀長を描いたNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、従来の「無能な将軍」像から知的でカリスマ性あふれる人物として描かれ、歴史好きの間で人気を集めている足利義昭。京都追放後は各地を転々とし、「流れ公方」とも呼ばれたが、その足跡の一つに由良町の興国寺がある。

足利義昭が滞在していたとされる興国寺

 義昭は将軍家の後継以外の子として仏門に入っていたが、兄義輝が永禄の変で三好三人衆らに殺害されると還俗。織田信長の庇護を受け、1568年(永禄11)に第15代将軍に就任した。その後は信長と対立し信長包囲網を形成するも、1573年(元亀4)の槇島城の戦いで敗れ京都を追放され、室町幕府は事実上滅亡した。義昭はその後も足利家再興を掲げ、安芸の毛利輝元を頼って亡命政権を樹立するなど、信長に対抗し続けた。

 義昭が毛利へ向かうまで滞在したとされるのが興国寺。由良町史によると、紀州の湯川直春(亀山城主)を頼って落ち延びたのが1573年11月で、同年12月初旬には到着したという。その後、1576年(天正4)2月に毛利へ向かうまでの動向には不明な点も多いが、この間、道成寺縁起を「日本無双の縁起」とたたえ、太刀を与えたことや、田辺市付近から毛利、上杉、島津に信長打倒を呼びかける書状を出したことなどが伝わる。道成寺に贈った太刀「来國光」については2017年の調査で偽物と判明している。

 ドラマや映画では、義昭は信長に操られた「傀儡将軍」として無能に描かれることが多かった。今回の尾上右近が演じる「豊臣兄弟!」では、カリスマ性と人間味を併せ持つ将軍像が打ち出され、包囲網を形成するネットワークや書状一つで大名に影響をもたらす外交能力などがあらためて注目され、再評価されている。

 興国寺には、義昭が滞在していたことを直接示すものは残っていない。それでも、都を追われながらも再起への執念を燃やし続けた足利家最後の将軍の気配が、境内の奥に今もなお感じられるようだ。