
世界最先端企業マイクロソフトの創業者の自伝である。
彼は一九五五年一〇月、三人兄弟の二番目としてシアトルに生まれた。姉は二十一ヵ月年上で妹とは十歳違い。父は地元の弁護士で母は小学校の教師であった。それほど目立つ家族ではないごくありふれた家庭であった。学生時代のビル・ゲイツは数学こそ得意だったが優等生というほどではなかった。反して姉は絵に描いたような優等生で常に全科目「A」を取得する秀才であった。中学生の頃、ビルもこのままではいけないと発奮し、シアトルの超進学校レイクサイド高校に進学するするため独自の勉強法を編み出した。(筆者注・ここに彼の才能を感じる)。教科書を二冊ずつ購入するのである。一冊は学校用、もう一冊は家庭用である。この勉強法が功を奏して見事志望校に入学する。またそこからハーバード大学へ進学するのであるが、そこは全米から各高校の一番の生徒たちが集まっている大学であった。
コンピューターとの付き合いは中学三年のとき。しかしこの頃、パソコンなどは存在せず、大都市や大企業にあるメインフレーム(大型機)に電話回線でつないだテレタイプを繋いだ端末を利用するというものだった。ビル・ゲイツは中学、高校とシアトルにあった通信会社の端末で大型コンピューターに侵入し各種のプログラムを作り出していた。高校ではコンピューターおたくのリュック・ウェイランド、ポール・アレンと知り合う。後にこの三人でマイクロソフトを立ち上げる。このときビル・ゲイツは十九歳、ハーバード大学一年生のときであった。
ビル・ゲイツは数学者ダン・エレンバーグの著作から学び、後に彼は「いつでも正解は必ず存在すると考え、それゆえマイクロソフトを世界的な企業に成長させることができた」と述べている。
マイクロプロセッサとパーソナルコンピュータの可能性を信じ、当時は存在しなかったパーソナルコンピュータ用のソフトウエアの業界をほぼゼロから生み出した。問題は合理的に把握できるという自信と楽観、世界の仕組みを知って、技術によって解決策を探る楽しみ、それを社会の役に立てる喜びにビル・ゲイツは常に動かされてきた。彼は現在、グローバルヘルス、気候変動、感染症などの慈善事業にも取り組んでいる。
本著は二〇二五年のN・Yタイムズで一位となり、その年はマイクロソフト設立五〇年の年であった。(秀)


