みなべ町東岩代出身の偉人で、戦後、ブラジルへの移住計画を先導し「戦後移民の父」と呼ばれた松原安太郎氏(1892~1961)を代表とする松原移民の移住70周年を祝う記念式典が今月1日、ブラジルのヴィセンチーナ市で行われた。安太郎氏の子孫にあたる町議会副議長の出口晴夫さん(67)=東岩代=らが出席し、現地の2世、3世らと交流を深めたほか、友好の証となる記念碑の除幕など行った。

除幕された和歌山県人移住70周年記念碑の前で出席者と記念撮影する出口さん(前列右から3人目)

 安太郎氏は1918年、26歳で妻とブラジルに渡ってコーヒー農園の労働者として働き、4年後に独立してコーヒー栽培で成功を収めた。先の大戦で国交が断絶し、移民受け入れがストップしたが、ブラジル政府に直談判して受け入れ再開を実現させ、1953年から安太郎氏が移民計画を立てた「松原移民」が入植を開始。日本から移民した6万人の先駆けとなった。日本人移民はコーヒー栽培を中心に地域社会の基盤づくりに励み、言葉や文化の違い、厳しい生活環境など多くの困難を乗り越えながら現在のブラジルと日本の友好関係を支える礎を築いた。

 記念式典は松原移民と、56年から同じく和歌山からブラジルに渡った「クルパイ移民」の歩みを顕彰しようと行われ、国内外から約350人が出席。両入植地を開拓した偉大な先人たちへ敬意と感謝を示し、「和歌山県人移住七十周年記念碑」の除幕を行った。ヴィセンチーナ市長やブラジル和歌山県人会代表らが登壇し、移民の歴史と精神を次世代へ継承する決意を表明。山本秀平みなべ町長、宮﨑泉県知事のメッセージも披露された。

 曾祖母が安太郎氏の姉にあたる出口さんは長男の雅人さん(38)と出席。式典ではあいさつにも立ち「本日建立された記念碑が、松原安太郎翁の志と足跡を後世に伝え、ブラジルと日本の絆をさらに強く結ぶ象徴となることを心より願っています」と思いを語った。みなべ町清川出身で幼少期にブラジルに渡った谷口史郎さん(85)も「長年の夢だった松原の慰霊碑とクルパイとの共同記念碑の建立には多くの温かい寄付があり、すべての人に心から感謝している」と述べた。

 出口さんは「70年を経て松原氏の子孫の方々に出会えたことに深く感動した。初対面だったが、長年親交があったかのような感覚で、血のつながりを実感した。今後もこの出会いを大切にしながら、日本とブラジルの結びつきをさらに深めていきたい」と話している。