生成AIの時代。膨大なデータを学習し、リクエストした文章や画像、音楽を瞬時につくってくれる。すでにさまざまなビジネスシーンで活用が進んでおり、文章をなりわいとする新聞記者も例外ではない。

 先日、ある作家が40年後の未来を想像し、社会の変容を描いた掌編小説を新聞に発表した。免許不要の自動運転、脳内チップによる記憶の検索が当たり前の世の中。昭和生まれの老作家が、AI時代に生まれたマスコミ志望の孫と噛み合わない。

 未来においては言葉の壁がなくなり、何かを調べるのも、取材をするのもAIまかせ。事件取材も現場へ行く暇があるなら、情報を多方面から集めて裏を取る方がより真実に近づき、コスパもタイパもメリットが大きいという。

 現実、新聞社はAIの活用を進めている。データを分析、統計的処理を行い、まるで記者が書いたような文章(記事)を作ってくれるとなれば、人手不足に苦しむ社にとっても、横着な記者にとってもこれほどありがたい話はない。

 かつて、刑事や事件記者が主人公のドラマで「現場百回」という言葉を耳にしたが、もはやそれもいまは昔。安く、早く、統計的に標準化されるAI記事に、読者が読みながら想像をめぐらせるほどの力はあるのだろうか。件の作家に直接、その疑問をぶつけたところ、笑って「使い方によるでしょうね」と返されたが、その表情には否定がにじんでいた。まさにこれが現場であり、行間の真意ではないか。

 今後、さらにどう進化を遂げるかわからないが、現状では相手の表情、口調、互いの呼吸を感じないAIは虚を真に受け、実を見落とし、最も大事な言葉の力が宿らない。悩ましいところである。(静)